「俺さ〜、前から思ってたんだけど」

 彼の人の言葉は、いつも唐突。






    
「それは、トクベツの。」







「御柳…ってさ、言いにくいよな」

 眉を寄せつつ、天国がそんな事を言い出したのは。

 休日デート、ならぬ放課後デート真っ最中、立ち寄ったファーストフード店でのことだった。
 陣取った席はそう広くはない店内の端、二階にある為に外の景色がよく見える場所。
 二人して向かい合って座って、テーブルの上には結構な量の食べ物が乗っていて。
 それらを二人して頬張りながら、談笑中。




 傍から見ていればただ単に仲の良い友人同士にしか見えない二人だが、一応恋人同士、の肩書きが付いている。
 お互い部活に勤しむ身、こうして会えるだけでもマシという状況。
 けれど、それでもいいと思えてしまっている辺り、なかなかに青春ストライクど真ん中、なのかもしれない。



 天国の唐突な言葉に、けれど御柳は既に慣れてしまっているのか動じる素振りも見せず。
 ナゲットを口に放り込みながらさらりと返した。

「名前で呼べば?」

「言い間違えてバカって言いそーだ」

「あー、それは勘弁」


 そういや機嫌を損ねた時など、よく御柳バカ、と呼ばれたりしていたなと。
 思い当たって、御柳は苦笑する。
 てか、俺としては名前で呼んで欲しいんだけどな。
 ま、無理強いする気はねーけど。


 そんな御柳の心境を知ってか知らずか、天国は何か考え込むような表情でポテトを摘まんでいる。
 しばらくもくもくと口を動かしてから、天国が渋面のまま呟いた。



「……てか俺、名前で呼ぶのって苦手なんだよ」

「なんでだよ? 俺は呼んでんじゃん」

「ヤ、呼ばれるのは別にいんだよ。沢松で免疫あっから」

「ふーん……」



 何気ない天国の言葉に、御柳は目を細めた。
 面白くなさそうに。
 実際、面白くない心境だった。
 天国の口から聞く頻度の比較的高い名前、沢松。
 誰なのか問い詰めた所、天国から返ってきたのは"鬼ダチ"という単語で。
 それがどういう意図で使われているのかは測りかねたが、ともかく天国がその人物に対して絶対的とも言える信頼を寄せているのだけは分かった。


 何度か会ったこともあるが、御柳の沢松に対しての印象は"食えない奴"だった。
 その評価はそこそこ友好的になった今でも、変わってはいない。
 御柳が相手を自分のペースに乗せてしまうタイプだとしたら、沢松はその逆だ。相手に合わせ、相手のペースに乗ってしまう。
 けれどそこで終わるわけでは勿論なく。
 相手のペースに乗ったまま、気付けば主導権を握っているのだ。
 いわば、自分の手は汚さないタイプというか。


 実際、ああいうのが一番恐いんだよな。
 敵に回したくないっつーか。
 考えているうちに、段々と眉間に皺が寄ってくる。



 それを見咎めた天国が、ぴっと人差し指を突き付けてくる。


「あ、なんか物騒なこと考えてるなっ?」

「べっつに」

「ヤメロよな。アイツは親友。そんだけだって何度も言ってんじゃん」


 俺としては、その弁明っつーか何つーか、が気に食わねんだけど。
 そーゆーの、お前分かってんの?
 そう言おうとして、けれどやめた。
 どうせ分かっているわけはないのだから。


 天国は頭は悪くない。
 普段の行動からバカに見られがちだが、決してそうではない。
 いざという時の頭の回転率は自分に勝るとも劣らないのではないか、と御柳は思っている。
 残念ながらそういう事態に遭遇したことがないから、判断の材料はないのだが。


 けれど、基本的な所で鈍かったりするのだ。
 それは例えば、自分に向けられる好意だとか、そういうものに対して。
 面倒だな、と思いつつもそれが嫌ではない辺りが、なんだかいい加減ベタ惚れだなとは思うのだが。
 それもまた悪くないと思っていたりするのも事実。

「分かったって」

 そんな自分に苦笑いしながら、御柳はひらひらと手を振った。
 どこか投げやりにも見える動作だが、返事をするだけマシなことを既に天国は知っている。
 御柳の態度に一瞬だけ眉を寄せたものの、すぐに気を取り直して食べかけだったハンバーガーに噛り付いた。




 あ、ちょっと冷めてら。
 ハンバーガーって冷めると微妙に不味くなんだよな〜。
 まぁ、安さ重視だし仕方ないよなぁ。
 味より腹を膨れさす方が目的みたいなもんだし。


 そんなことを考えながら、天国はふと首を傾げる。


「で、なんだっけ?」

「なんだっけって…俺の苗字が呼びにくいってんだろ?」

「あ、そう! そうなんだよな〜」

 うんうん、と頷きながら天国はまたハンバーガーを齧った。
 御柳はナゲットを食べ終わったらしく、ポテトに手を伸ばしている。


 指先を舐めながら、御柳は肩をすくめた。
 そんなこと俺に言われてもどーしようもねーっしょ。
 そう言いたげな顔で。




「呼びにくいって言われてもな。俺が選んだわけじゃなし」

「それは分かってっけどさ。俺も、お前の名前好きだし。良い名前だと思うし」

 はく、とハンバーガーを口の中に押し込み、包み紙をくしゃくしゃ丸めながら天国は言う。
 何気なく、さりげなく人を嬉しくさせることを言う。
 けれど言った本人はそれに気づいてなどいない。
 御柳はもくもくと口を動かす天国を見ながら、ふっと笑んだ。

 ったく、天然だよなー。



「そりゃどうも」

「どういたしまして…っ、じゃなくてだなぁ!」

「くるくる表情変わるな、相変わらず。おもしれー」


 くっくっと喉の奥で笑いながら、御柳は天国の頬を突ついた。
 万華鏡のように変わるその表情は、見ていて飽きない。
 楽しくて仕方ない。
 だから、つい手を伸ばしてしまう。


 触れられた方の天国は、顔をしかめて首を振る。
 嫌がっているというより、困惑しているような表情。
 スキンシップが好きなくせして、急に受けるそれには途惑う。
 あーあ、それ、分かってやってんじゃねーの?
 無意識の駆け引きほど、性質の悪いもんはないってな。


「人のほっぺた突つくなっつの!」

「やらかくて気持ちいーし。それでなくても触りたくなるけど」

 天国は戯れるように頬に触れる御柳の指を、くすぐったげに肩を竦めながら振り払った。
 けれど今度は、顔を寄せてきた御柳に耳元で囁かれる。
 腰にダイレクトに響いてくるような、音。
 ぞわりと背中を何かが伝うような感覚に、天国はびくりと身体を震わせた。



「ッだー!! 耳元で囁くなエロ低音で!」

「あ、感じましたか? 天国クンは」

「ちっがーうっつの! テメ、ちょっと離れろッ」


 いつの間にか首の後ろに手が回されているのに、天国は腕を突っ張るように伸ばして御柳を引き離した。
 テーブルを挟んで座っていて良かった、と切実に思う。
 そうでもしなければ、こんなに簡単に引き剥がせなかっただろうから。
 無論、御柳が本気になればテーブルなんぞ障害になどなりはしないのだろうが。
 引き剥がされた御柳は、面白くなさそうに片眉を上げる。


「なんだよ、抱き心地良かったのに」

「ひっつかれたまんまじゃマトモに話ができんっ」

「顔真っ赤」

「笑ってんなっ、誰が原因じゃ!」

「俺」

「くっそ……しゃあしゃあとしやがってっ」


 顔を赤くしながら吐き捨てる天国を見ながら、御柳は楽しげに喉のおくで笑う。
 くるくる表情を変える天国は、見ていて楽しい。
 そうさせているのが自分なのだと思うと、余計に。
 笑ったり怒ったり、天国は全てが全力投球だ。
 一見それが無駄にしか見えないようなことでも、天国にかかれば宝石のような出来事に変化したりする。
 いっそ、才とでも言うべきか。
 つまらないことなど、きっと天国の世界には存在していないのだ。


「で? 何が言いたいって?」

 笑いながら返せば。
 膨れっ面だった天国は、すぐに表情を変える。
 それにまた御柳が笑うのだとは、天国は気付いていない。

「あーそうそう。あのさぁ、お前あだ名とかないわけ?」

「ないな」

「即答かよッ」

「ないもんはないんだから仕方ねーだろ」




 御柳の言葉に天国は少し黙ったかと思えば。




「みやくん」

 突然、ぽつっと呟かれた言葉に御柳が瞠目した。
 瞠目した、とは言っても見た目にはほとんど変化はないのだが。

「は?」

「だから、あだ名。みやくんってどーよ?」


 そんな御柳を余所に、天国はまたも爆弾を投下する。
 無邪気さは時として凶器になり得る、とは誰の言葉だっただろうか。
 今の状況はまさしくそれなのだろう、と心中で御柳が思ったことを、幸いにも天国が気付く事はなかった。


「……そんなカワイイもんじゃねーだろ……」

「いーじゃん! みやくんみやくん♪」

「大体それだって言いにくそーじゃん」

「御柳、よかはマシだぞ?」

「小学生かよ…」



 思わず額を押さえながら言った御柳に、天国は笑顔全開でそう返す。
 と、そこでふと御柳は思い当たった。


「そういや俺、先輩にミヤって呼ばれてんな」

「なんだよ、あだ名あるんじゃんか」

「お前の呼び方で思い出したんだよ」

「そっか〜…良かったな!」

「……何が」


 また分からない事を言い出した天国に、けれどいい加減慣れている御柳は、ふっと息を吐き出しながらそう問う。
 一見すると溜め息にも見えるそれだが、溜め息を吐きたい心境では多分にあったのだから、溜め息と言っても差し支えはなかっただろう。


「あだ名とかってさ、いわば信頼の証だと思うんだよ俺」


 何に満足したのか、一人うんうんと頷きながら天国は言う。


「……訳わかんねっつの」

「あだ名付ける時ってさ、自分にとってどーでもいい人間には付けたりしねーじゃん、フツー?」

「んで?」

「だーかーら。あだ名を付けるって行為は、少なからずその相手を思ってなきゃ出てこないんだからさ。それはつまり、相手を信頼してるってことじゃん」


 な? と天国は言う。
 御柳はそんな天国を凝視していたが、やがて。


「単純思考だな、相変わらず」

「なにをぅ?!」

「んでも、キライじゃねーぜ」


 にや、と口元に笑みを浮かべて。
 御柳はぴし、と天国にでこピンをかました。


「いでっ。何すんだよ、みゃあ!」

「……今度は何だって?」

「みゃあ。お前のあだ名。フロム猿野天国様」


 天国の突飛な発言には慣れてきていた。
 慣れてきて…はいてもやはり。
 驚いてしまう時には、驚くのが人の性であって。
 一瞬言葉が出てこなかった。


 不覚、と軽く舌打ちしたい気分で、天国を見返す。
 天国は自分の落とした爆弾には、やっぱり気付いていない。いつものことながら。
 むしろ胸を張るほどの勢いで、楽しげな表情を見せている。


「どっから出した、んなもん」

「イヤ、今思いついた。猫っぽくていっかなーって」

「よくねーよ」

「だってみゃあ、猫っぽいもん」

「どこが…ってかそれ定着させっ気か?」

「うん」

「…………」


 不覚、第二段。
 言葉が出てこず、御柳はガムを口の中に放り込んだ。
 途端に口中と鼻腔に広がる、甘い匂い。
 慣れ親しんだそれは、御柳には精神安定剤も同様で。
 食べ物がなくなった為の行動だったのだが、結果として思わず動揺してしまった心を落ち着かせるには、丁度良かった。


 御柳の動揺、もしくは葛藤を知らずに天国は笑いながら言葉を紡ぐ。
 向けられる笑顔は、御柳にとってはガムなどよりよく効く。


「いーじゃん、俺限定の呼び名。そーいうのって特別っぽくてよくねーか?」

「特別、ねえ」

「そ、特別♪」


 まるきり子供の思考回路だ。
 けれど、それがイヤではない辺り。
 俺も大概、ガキなんだろな。

 頬杖を付いて、ガムを膨らませて。
 ふっと目を眇めれば、御柳の意図を解した天国がニッと笑う。
 いたずら好きな子供なのは、多分二人ともだ。



「ま、好きにすれば?」


 興味ないし、とでも言いたげな態度はポーズ。
 特別、という言葉は存外居心地がいい。


 天国も、御柳の心理は分かっているのだろう。
 笑顔のまま、頷いた。


「おう、そーするっ」








 特別な呼び名は、特別の証だから。



 ねえ、だから、呼ばせてくれない?




 END



 

 

 

 

 

2003.2.4 日記より
改題前「呼ばせてくれない?」
大幅加筆修正あり。

なこんなで書き下ろしじゃなくてゴメンナサイ。
しかしながら元の文は会話文だけなので、結構加筆修正してます。
暇な方は見比べてみても面白いやもしれません(笑)
実は一番最初に書いた芭猿文だったりします。
日記で文書いて一気に芭猿フィーバーしたんですわ……(何故梅さん口調?)

とりあえず(@犬飼冥)、うちの天国の御柳の「みゃあ」呼びはここからです。
多分これから先もちょくちょく出てくると思われる、「みゃあ」呼び。
定着はしなさそうだから、一人寂しく呼ばせときます(哀愁)


UPDATE/2003.8.11

 

 

 

          ※ブラウザバックでお戻りください。