この俺がここまでするなんて、


 前代未聞っしょ。








 
   たとえば手をつなぐこと。








 御柳芭唐、高校一年生。
 生意気だの高校生らしくないだの年上を敬うことを知らないだの強引だの鬼畜っぽいだの、まぁ好き勝手言われちゃってますが。(でも敢えて否定はしない)
 それでもやっぱり、高校一年生なわけでして。
 年相応に、焦ったり不安になったりも、するわけなのです。







 歩きながら、ポケットに手を突っ込む。
 そこから出されるのは、今や片時も手放せなくなってしまったガムだ。
 味への拘りは特にないが、最近凝っているのはキシリトール配合、とかいうヤツで。
 カサカサと音を立てて開封しながら、そういやキシリトール系に手を出し始めたきっかけもアイツなんだよな、とふと思い当たる。


 四六時中ガムを噛んでいる自分に、ある日キシリトール入りのそれを付きつけてきて。
 言った言葉が、虫歯はキスでも伝染るらしいからこっちのガムにしとけ、だった。
 素直に心配だから、と言ってこない所がらしいというか、何と言うか。
 ちなみに、その後キス(どの程度だったのかは敢えて伏せさせていただく)をしたのは言うまでもない。


 ぽい、と口の中にガムを放り込むと。
 途端に広がる、すうっとどこか透き通るような感覚。



 ま、悪くねーか。


 誰かの影響を受けること。
 まして、それを悪くない、なんて思えること。
 そんな日が来るなんて。
 それを心地良いものだと思えるなんて。
 想像だに、していなかった。


 噛み始めたガムが、口の中にミントの味を広げる。
 その味に僅かに口元を緩め、御柳は携帯を手にした。
 珍しく明るいうちに部活が終わった或る日のこと。
 向かうのはやっぱり、会いたい人のいる場所。







「遅ーよ」
「お、遅いってッ、こ、でもっ、部活、終わっ、ばっかっ!」
「何言ってっか分かんねっつーの」


 息を切らして訴えれば、返ってくるのは冷たい一言。
 ああ、もう、誰か。
 この俺様気質、何とかしてクダサイ。
 ……金はありませんけど、俺。ちなみに身体でも払えません。


 思わず遠い目でそんなことを考えてしまう、猿野天国、学校は違うが芭唐と同じく高校一年生だ。
 目下の所、御柳と「お付き合い」をしていたりする。





 部活が終わって、携帯を見れば新着メールの表示。
 誰からだ、と開いて見てみれば俺様何様芭唐様、からで。
 そこにはたった一言だけ、こうあった。




『公園』


 ただ、それだけで。




 その一言だけで何を示しているのか分かる自分が。
 それだけで息を切らして走ってしまう自分が。
 たった、それだけで。嬉しい、と。
 そう思えてしまう自分が。
 悔しいのと、なんだか楽しいのと。
 相反する感情が綯い交ぜになって、複雑な心境になる。


 けれど、それをゆっくり考慮する暇もなく慌ただしく着替えて、部室を飛び出してきたのだ。
 早く会いたい、という思いと。
 早く行かなければ何をされるか分からないから、という思いと。
 抱えた感情は、半々だったのだけれども。
 どちらにしろ、会いに来たという事実には変わりがない。




「ま、いっか。行こーぜ」

「って、どこにだよ」

 息を整え、額にうっすら浮かんだ汗を拭う天国は、御柳の言葉に瞠目した。
 何を言い出すんだこの男は、とその顔に浮かんでいる。
 御柳はそれに答えず、口元に笑みを刻んだ。
 にやり、と形容するのが相応しい笑い方。
 その表情はお世辞にも人の良さそうな、とは言えない。


「んー…俺ん家?」

「ってかその疑問系はナンデスカ」

「別にホテルでもいっけど、金あんまないしなー」

「いやっ、御柳クンたら不潔よッ」

「別に俺は外でもい……」

「R−15指定になりそうな会話はやめーい!」



 ずびし、と御柳の頭に突っ込みを入れようとして、けれどそれはひらりとかわされた。
 空を切った手のひらを見つめて、天国はうぬぅ、と唸る。
 御柳はそんな天国の手をがし、と掴んだ。
 掴んだ腕が、驚いたのか一瞬、震える。



「帰ろーぜ」

「……ん」


 その瞳を覗き込むようにして言ってやれば、天国は落ち着かなげに頷く。
 人懐こいくせして、時折妙な所で照れたりする。
 これが計算してやってんなら相当な策士だけどなー…
 けれどまぁ、天国がそんなことを計算できるようなタイプの人間でない事は付き合いがそう長くない御柳にも分かってはいたから。


 ちょー天然。
 目が離せないって、こーゆーのなんだろな。
 まったく、無自覚ってのはこうも性質悪いもんかね。
 御柳が掴んだ天国の手を引いて歩き出すと、天国はそれを振り払おうとはせずにそのまま歩き出した。
 親に連れられて歩く子供のようで、思わず苦笑する。



「てかお前、ここどした?」

「へ?」

「擦りむいたみたくなってっけど」


 言いながら御柳は天国の頬、ちょうど左目の下辺りに触れる。
 そこは擦りむいたように赤くなっていた。
 怪我、とまではいかないが見た目に痛々しい。
 問い質された天国は何のことだか分からない、とでも言いたげに首を傾げていたが。
 思い当たることがあったのか、ああ、と頷いた。


「グローブで擦ったんじゃねえかな。うん、それだと思う」

「グローブぅ?」

「そ、片付けん時に……あー、やなこと思い出した」



 なんでグローブが顔に、と御柳が不審そうに眉を寄せると。
 何事かを思い出したらしい天国が、苦々しげな顔になっていた。
 何か嫌な予感がする。
 いざという時の勝負勘は外した事がない。
 ちりちりと、首の後ろを焼かれるような感覚がした。
 ロクデモナイ話だ、これは。
 勝負士の勘が、そう告げている。


 けれど。


「何があったんだよ?」


 そこから逃げの一手を打つという気は、さらさらなかった。
 負けるのは嫌いだ。
 けど、逃げるのも冗談じゃない。
 面倒くさがりなポーズの裏に、けれどしっかり存在している負けず嫌いな心。


「そうなんだよなー。聞いてくれよっ」

「だから、なんだよ」

「犬飼の奴がよぉー」


 瞬間。
 ぴしり、と空気に亀裂が走ったような感覚がした。
 拳をぐっと握って訴えてくる天国は、固まった御柳に気付いていない。
 元々よく動く方ではない顔の筋肉は、ポーカーフェイスを保つ事に成功してくれたらしい。
 あんの犬、何しやがった。
 舌打ちしたい衝動にかられながら、平静を装う。


「……犬飼が?」

「なーんか知らねえケド、俺にばっか当たってくんだよなー。あのコゲ犬」

「……へえ」

「よく殴ってくるしよー」


 相槌を打つことは出来なかった。
 それだけの余裕が、なかったからだ。
 平静さを保つ為に、ふっと息を吐き出す。


「これだってアイツが原因みたいなもんだしさー」






 原因、とは言っても犬飼に悪気があったわけでは、決してない。
 練習が終わり片付けをしている時のこと。
 グローブを集めていた天国に、どこか離れた場所に忘れてあったらしいグローブを見つけた犬飼が、投げてよこしたのだ。
 しかしながら、その時すでに両手が塞がっていた天国はそれを上手くキャッチすることができずに。
 一昔前のコントの如く、顔面で受け取ってしまったのだ。
 顔は痛いわ、持っていたグローブは散乱させてしまうわ、踏んだり蹴ったりってーのはこういうことだろなー。と。
 思わず他人事のように考えてしまった。


 が、静寂は一瞬のこと。
 その後はもう、いつも通りの展開で。
 小学生でもしないような低レベルの言い争いを始めた二人と、それを煽ったり見守ったり止めようとしたりする者がいたり。
 結局それを止めたのは、いつも通り主将だった。
 にっこりと笑顔で、けれどその背後にどす黒く渦巻くマーブル模様のオーラに。
 いつものことながら部員の顔が引き攣った。


 まぁそれはともかくとして。
 言葉で言っているほど天国は怒っているわけではない。
 犬飼がわざとやったわけではないのは分かっているし(それでも突っかかってしまうのは、最早癖みたいなものなので仕方がない)。
 ただ、何となく話のネタにしているだけだ。



 天国は、御柳と犬飼の間に浅からぬ因縁があることを知らないわけではない。勿論、詳しい事は知らないが(別に知りたくもなかったけれど)。
 けれど、見ている限り御柳は犬飼ほど過剰反応をしているわけではないし、それに何より。
 元々幼馴染みの関係にあった二人だ、今は色々と関係がこじれているだけで。
 何かのきっかけがあれば仲直りできるんじゃないかなーと。
 お節介かもしれないが、そんなことを考えたりして、時折思い出したように犬飼の話題を振ってみたりしているのだ。


 自分が、もし親友とそんなことになってしまったら。
 やっぱり哀しくなると、そう思うから。








 けれど対する御柳は、天国のそんな心境を知る由もなく。
 天国の口から出る犬飼、の名前にどうしようもなく胸の内がざわめくのを止められなかった。
 自分でもそんな感情を抱いていることに驚きを感じえなかったけれど。
 嫉妬、しているのだ。
 天国の唇から洩れる、自分ではない人間の名に。


 俺と居る時ぐらい、アイツの話すんなよ。
 思わずそう言いかけて、慌てて唇を引き結んだ。
 変わりに、握った手に力を込める。


「みゃあ?」

「……その呼び方すんなっての」

「いーじゃん、可愛げあるように聞こえんぜ?」

「なくていいし」



 御柳の顔が強張っているのを見て取った天国は、握られた手をぎゅうっと負けないぐらいの力で握り返した。
 少し、痛いぐらいの力。
 名前を呼んでやれば、その呼び名に顔を顰める。
 苦々しげなその表情に、天国は思わず笑った。



 天国が笑ったのを見て、御柳も口元を緩めた。
 嫉妬させられても、別にいーか。
 こうやって隣りにいて、手を繋げんのは俺だけだろうし。
 握った手を握り返された。
 たった、それだけのことで。
 ゆるゆると、気持ちが解けて、暖かくなった。







 たとえばそう、手をつなぐこと。
 隣りに座って、目を見て話をすること。
 そういう何気ないことから伝わる気持ちとか思いとか。
 そういうのが、確かにあるってこと。

 それが分かったのは、確かに天国が隣りにいるようになってからだ。

 だから今日もまた、手をつなぐ。







 そんなこんなで。
 御柳芭唐、猿野天国、共に高校一年生。
 二人して、帰路につくのです。
 他愛もない話をして、時には不安になったり怒ったりしながら。
 それでも、隣り合わせで歩きながら。



END




 

 

 

芭猿下校話でございました。
こちらは相互記念ということでyumi様にお捧げします★
素敵なイラスト頂いちゃったのですよ…(にやり)
しかしそれの返しがこれて、人生舐めきってるとしか思えません金沢!
ってかお待たせしておいてこの仕打ち…(平謝り)
こげなもんで宜しければお納めください。
(これで縁を切られないように祈っておりまする)

頂いた素敵イラストへは
こちらから★

UPDATE/2003.5.28

 

 

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