Ver.沢松健吾

「隣りで笑っていて」






『起きろー』


 聞き慣れた声が耳を揺らし、天国は眉間に深い皺を刻んだ。
 おそらくは、電話をかけてきた人物も天国の今の反応などしっかり想像できているに違いない。


「ッテメ……人の惰眠を邪魔するたあ、いい度胸してやがんなこのオールバックめが」

『自分で惰眠つってちゃダメだろーよ、お前』

「うるせえ眠いんだよ。俺の眠りを邪魔する奴は何人たりと」

『はーいストップー。祝・一億冊なのは分かったからとっとと窓開けやがれや』


 ち、止められた。

 起き抜けながらもネタに走る辺り、いい加減芸人根性が染みついているというか、何というか。
 そんな天国との付き合いもいい加減長い沢松は、あしらい方も手慣れたものだ。
 天国は止められたことにつまらなさそうに口をヘの字に曲げはしたものの、欠伸をしながらむくりと体を起こす。
 何だかんだで、鬼ダチとの付き合いは大切だから。


「つーか、この距離でわざわざ電話する意味が分からんのだが」


 言いながら、天国はガラリと窓を開けた。
 窓を開けた正面、窓枠に肘をつきながら沢松がひらひらと手を振っていた。
 風呂上がりなのだろう、学校では一つに括ってある髪が解かれている。
 天国のそれとは違い、まっすぐな黒髪が肩に触れていた。


『最近のお前は一旦寝ついちまうと、こっからじゃ起こせねーんだよ』


 苦笑し、沢松は肩を竦める。
 耳に当てた携帯と、目の前の本人から発せられる声とが、二重に天国の鼓膜を揺らした。
 天国はそれに舌を出すことで答え、携帯の電源を切る。
 それを見て、沢松も耳元から携帯を離した。


「よ。眠そうだなスポーツマン」

「うっせ。疲れるのはしゃーねーだろうが」

「そんぐらい知ってるっつの。誰も悪いとは言ってねえ」

「つか、マジ何、わわっ」


 言葉の途中、無造作に沢松が何かを放り投げる。
 突然なそれを、慌てながらも何とか手の中に収めることに成功した。
 落とさずに済んだことに安堵の息を吐きつつ、文句の一つも言おうと顔を上げかけたその時。


「ハッピーバースデイ、ってな」


 投げられたそれと同様に、何気ない口調で言われた。
 僅かに口を開けたまま、天国は動きを止める。
 そのぽかんとした顔に、沢松はにやりと笑って。
 人差し指をぴっと着き付けられ、天国は思わず渋面になる。
 そんな天国の様子に構わず、沢松は笑いながら言葉を続けた。


「最近忙しいから、忘れてたろ?」

「……忘れてたよ、ちくしょう」

「ま、良かったんじゃねーか」

「何が」

「そこまで打ち込めるもんに出会えた、ってことがだよ」


 あくまでも、軽い調子で。
 何気なく、世間話をするような言葉で。
 おめでとさん、などと笑っている沢松に、天国はふっと表情を緩める。

 昔から、沢松はこうだ。
 ともすれば重くなりがちなことですら、彼は何気ないことのように言えてしまったりする。
 軽く肩を叩きながら、ふっと笑って。
 冷た過ぎることもなく、ヒートしきりなわけでもない。
 そんな沢松に、天国は幾度となく助けられてきた。
 それは、誰に言われるまでもなく天国が一番感じていることだ。


「っつか、微妙に早ぇぞ、まだ」

「鬼ダチと致しましては、やはり最初に祝う特権はいただきたいわけですよ」

「バーカ。心配しねーでもお前が最初だっつの」

「そりゃ良かった」

「……さんきゅ」


 立つ場所は変わっても、変わらないものがある。
 それが、ただ素直に嬉しい。
 少し照れながら天国が告げれば、沢松は応えるように手をひらひらと振ってみせた。


「そんじゃま、さっさと寝ろや。寝不足で隈なんぞ出来てちゃ一面トップにゃ載せられねーからな」

「おーう。俺の勇姿、しっかり写せよな」

「ま、活躍するかどうか微妙だけどな〜」

「なにおう? 下僕のくせして何を言い出すかッ」

「悔しけりゃホームランの一つでも打ってみな」


 挑発的な言葉に、天国は天に向けていた親指をぐるりと逆向きにしてみせた。
 甘やかすばかりじゃない、時には突き放すことだって珍しくない。
 けれど、だからこそ長く続いてきたこの関係。

 天国の反応に満足したらしく、沢松はじゃあな、と一言残し窓を閉めた。
 一瞬夜の空気を吸い込んでから、天国も窓を閉める。


「お、っと」


 手にしていた携帯が音を立てたのは、丁度その時だった。
 メールの着信を知らせる音に、天国は首を傾げる。


「誰からだろ」



 折りしも、時刻は丁度0時を指し示すところだった。

 7月25日。


 ハッピーバースデイ。





END




UPDATE/2004.8.16

 

 

 

 

 

 

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