……俺は元気でやってるよ。
寒くなってきたけど、何とか毎日過ごしてる。
お前は?
お前は、今、どうしてる?
目線を合わせて笑って
〜仙人掌に花が咲いた〜
ちゃんと飯食ってんのかよ。
また冷蔵庫の奥から賞味期限が遥か昔のチーズが出て来たり、そういうことしてねーだろうな。
キッチンに埃ためたりすんなよ、勿体無い。
せっかく鍋もフライパンもあるんだから、偶には使ってやれよな。
面倒だって顔顰めながら、それでいいから。
お前の作るフレンチトースト、俺は好きだったよ。
すっげー美味いってわけじゃなかったけどさ。お前が眠そうな顔でフライパン片手にしてんのを見るのが、すごく好きだった。
今でも好きだよ。
なんて。
古いラヴソングみたいで、自分でも薄ら寒い気がするけどさ。
でも、今でも、好きだから。
それしか言えない。
笑えるぐらいに陳腐なありふれた言葉でも、それしか。
12月に入って、街は俄かに冬っぽい装いになったよな。
クリスマスへ向けて、街路樹にいろんな色の電球が飾り付けられた。
こうなってくると、俺は子供と同じようにワクワクする気持ちを抑えられない。
俺、クリスマスとか誕生日とか、好きでさ。
ガキっぽいし、カワイイ女のコが言うならともかく。俺みたいな奴がそんなん口にするのはやっぱ寒いよな〜、と思ったから口に出したりはしなかった。
多分聡いお前は、そんなの気付いてたと思うんだけど。
最初にキスした時のこと、覚えてっか?
俺、わざわざクリスマスにしたんだよ。
忘れたくなかったし、忘れて欲しくなかったから。
本当はお前の誕生日にしたかったんだけど。
お前、自分の誕生日忘れてたりするから、世間が大仰に騒ぎ立てるくらいのイベントに重ねてやれば絶対イヤでも忘れないだろうと思ってさ。
イヴの日の夜、ほとんど真夜中、25日クリスマスまであと数分って時間に呼び出したんだよな。
寒くて寒くて。
吐いた息が白くて。
そのまま息が凍ってしまうんじゃないかって思うぐらい、寒くて。
コートも着てマフラーも巻いてたのに、俺はガタガタ震えながらお前を待ってたよ。
運の悪い事に、その日は手袋を忘れてさ。
いつもはお前の冷たい手を、俺が笑いながらあっためてやるって握るのに。
それができないなって、そんなことばかり残念がってた。
人並みもめっきり減った時間帯、それでもプレゼントの包みらしき袋を抱えた会社帰りらしいおっさんとか、寄り添い合って歩く恋人なんかを見ながら、俺はお前を待ってた。
ちかちかと瞬くイルミネーション、その光が目を灼くみたいで少し痛かった。
泣きたいような気になったのは、そのせいだ。
すごく強引に呼び出したってのに、お前は出きる限り早く来てくれたんだろうな。
必死な顔で、俺の前まで走ってきた。
絵になるなって、そう思ったのを覚えてるよ。
悔しいけど、女のコがお前を見て騒ぐのも分かるなってさ。
それと同時に、少し優越感も覚えてた。
だってさ、そんな男が俺のモンだったわけだから。
周りで騒がれようが何だろうが、お前は俺のだったし。
逆もまた然り、でさ。
そういうのが、ただ凄く嬉しかったよ。
すごくすごく嬉しくてどうしようもなくてさ。
衝動のまま走ってきたお前に抱きついたら、すっげー驚いてたっけ。
抱きついたせいで顔は見れなかったけど、硬直した体で分かった。
そんでもその後、振り払わないでいてくれたよな。
お前、ああいうの苦手だったんだろうにな。
俺の大好きなお前の指が、髪をそっと撫でてくれたのを。
今でも全部思い出せるよ。
お前と俺の身長差は、結局縮まらないままだったな。
俺、本当はそれが悔しかった。
悔しいのと同時に、哀しくも寂しくもあった。
お前は少し膝を曲げれば俺と同じ目線になれるけど、俺は厚底靴でも履かない限りお前の目線にはなれない。
それが、ほんの少しだけ残念だった。
けど、見る世界が違うからこそ、一緒にいられたんだろうとも思う。
お前は俺の気付かなかったことに気付いて。
俺はお前の見えなかったことを見て。
そんな風だったから、隣り同士で歩けたんだろう。
そう、思うよ。
覚えてっかな。
今年の春。
桜も散って、梅雨の訪れる手前ぐらいだったよな。
俺が、酒の缶やら瓶やら持って、お前の部屋に押しかけた時のことをさ。
二人でいつもみたいにくだらないこと話しながら、ちびちびと空き缶や空き瓶を作ってって。
何となく会話が途切れたその時に、何となく目を向けたつけっぱなしだったTVに。その画面に映っていた光景に、俺は釘付けになった。
今でも、どうしてあんなにも目を奪われたのか、その理由づけとして明確なものは示すことができない。
ただ、惹かれたんだ。
自分でもどうしてだか分からないけど、あの氷の世界に。
白く閉ざされたその場所に、どうしようもなく憧憬にも似た気持ちを感じた。
どうしてだか分からないけど、その白に心を奪われて。
それで、やっぱりどうしてだか分からないけど泣きそうになった俺に、お前はどう声をかけていいか分からないって感じだったよな。
けど、お前がただ抱きしめてくれたこと、それだけで俺には充分すぎるくらいだったよ。
一緒に逃げようって言ってくれた時は、心臓がこのまま止まっちまうんじゃないかってぐらい、嬉しかった。
そんな自分をバカだと思いながら、それでも嬉しいと思う気持ちは止められなかった。
南極に逃げ込んだら、俺とお前とペンギンだけだって。
そんな風に言ってくれたよな。
今でも、あの時に感じた気持ちは俺を揺さぶるよ。
何もなかったフリをして、お前の隣りに並びたい。
そう思えてしまうほどに。
額をくっつけ合って笑ってた時はさ。
俺、本当にどうしようもないぐらい嬉しかった。
あったかくて、お前の存在が凄く近くに感じられて。
覗き込んだお前の目の色、そのすごくすごくキレイな色は、今でも俺の目の奥に焼き付いて離れない。
ごめんな、俺、本当は怖かった。
お前といるのは楽しくて、嬉しくて、あったかい気持ちにもなれて。
すごく幸せで、だから、怖かった。
いつか失くす日が来るんだろうって、そう思ったら怖かった。
どんなことでも。
それが例えば永遠を誓ったことであったとしても。
変わらないもの、消えないもの、そんなのないから。
俺は、それを知っていたから。
実際、高校卒業して、大学が別になって。
お前は一人暮らしを始めて。
生活パターンがそれまでとは変わって、高校の時みたいに一緒にいられる時間が目に見えて減った。
それでも、お前といるのは楽しかったし。
二人でいる時はやっぱりお前のことが好きで好きで、どうしようもなかった。
不安と、一緒にいられる時間の喜びと。
合鍵も貰って、それ以上なんて望むべくもなかったのに。
それでも、お前のいない家に訪ねてくことなんて俺は殆どしなかった。
家の前まで行って、電気の点いてない部屋を見て引き返したこともある。
お前はそんなこと知らないんだろうけど。
俺も教えるつもりなんてなかったし。
お前のいない部屋で、一人でいること。
それがどうにも耐えられそうにもなかったから。
抱きしめる腕も、俺の話を聞いて頷いてくれる存在もないその部屋で、一人座ってるなんてできないと思った。
いつもはそうしているのが当たり前なのに、それがないってこと。
それを意識させられるのがイヤだった。
自分でも信じられなかった。
こんな、こんな風になる自分がいるなんてさ。
女々しくて、バカみたいにお前の事が好きで。
誰かを好きになるって、カッコイイことばっかじゃないよな。
必死で、不様で、それでもただ好きだって言えること。
そういうのって、凄く難しくて、そんで凄くカッコイイと思うよ。
俺はお前を傷つけただろう。
それが分からないほど、俺はバカでも鈍感でもない。
それでも、離れなきゃいけなかったんだ。
コレ以上好きになったら、愛しいと思ってしまう心が、捨てられないほど大きくなったら。
俺もお前も、きっと立ち上がるのが困難なぐらいの傷を負ってしまうだろうってのが分かったから。
ああ、ごめん。
ごめんな、犬飼。
これも、逃げなんだろうって。
本当は、分かってるよ。
こんなの、俺の都合のいい言い訳でしかない。
それでもお前は優しいから。
きっとこんなこと言ったら、困ったように優しく笑うんだろう。
そうして、俺の頭を撫でながらやんわりと否定するんだろう。
俺はバカで、どうしようもなくお前の愛に餓えてるから。
今だって、そうしてもらいたいんだ。
これからお前をひっ掴まえて、思ってること洗いざらいぶちまけて。
そうやって慰めてもらいたいって。
そんな風に性懲りもなく考えてたりもするんだ。
それが、余計に傷をかき乱すような行為だって。
本当は頭の中で理解していても。
一瞬の優しさとぬくもりに縋りたい、そう思えてしまう。
でも。
俺は、お前が好きだよ。
お前が立ち上がれなくなるのを、俺は見たいわけじゃない。
それだけは。
たった一つ、それぐらいは信じて欲しい。
告げた別れにお前が痛みを感じているのを、俺は知ってるけど。
それを知っていながら、何を言ってんだかって思われるのは承知の上だけど。
それでも。
お前を、守りたかった。
誰かを想うこと。
好きになること。
愛すること。
そこには、暖かなものばかりが存在するわけじゃない。
憎悪、猜疑心、そういうものも哀しいけれど確かに存在していて。
人の想い、感情、そう言うものにハッキリとした区別や境界線なんて本当はないんだと。
お前を好きになって、お前といるようになって、俺は初めてそれを知った。
誰かが誰かに向ける想い。
そういうのは、そこに在る感情が何であれ、ただ強い力なんだと。
どこから湧き上がってくるのかも分からないそれを、奇跡のようだと思いながら少しだけ怖いとも、そう思ったよ。
うん。
俺は、そういうのが怖かった。
そういう想いに、いつか捕らわれてしまうんじゃないかって。
そう思って、それが怖かった。
怖いと思えるぐらい、お前のことが好きだった。
過去形じゃない。今でも、好きだから。
好きで、愛しくて、仕方ないから。
この感情が、いつか向かうベクトルを変えてしまったら。
今は「好意」だけれど、何かの拍子に「憎悪」に変わってしまったりしたら。
どうなるか、分からない。
だから、怖かった。
俺のことだけじゃない。
お前のことも。
お前にも、同じことが言えたから。
例えば何かの拍子に俺がお前に憎まれるようなことがあったら。
想像するだけで、震えた。
きっとそうなってしまったら、どちらも無事じゃいられないと思う。
それぐらい、俺はお前が好きで。
お前も、俺に感情を向けてくれていて。
だから。
俺は、お前に別れを告げたんだ。
掌の中に、すっぽり収まってしまうぐらいの小さな鍵。
握り締めたそのせいで、俺の体温が移って生温くなってたよな。
小さな、けど何よりも大切で重くて、手放したくなかった銀色のそれを返したのは、俺とお前が付き合い出して4年目の秋だった。
付き合い出したその時と同じように、銀杏が金色の葉を散らしてた。
それがキレイで、眩しくて。
泣きたくなるような心地は、あの始まりの時と変わらないのに。
その理由があまりにも正反対で、余計に涙が溢れた。
だけど、俺はお前に鍵を返した。
そうしなきゃ、ダメだったから。
このままじゃ、いつかきっと。
そう遠くはない未来に、いつか。
俺とお前は、ダメになる日が来る。
それを、肌で感じたから。
俺は、俺が俺でなくなることも。
逆に、お前がお前でいられなくなることも、望んでなんかいないから。
大好きだから、愛しいからこそ、別れを告げるしかなかった。
そんな矛盾した事を言っても、お前は信じてくれたかな。
ああ、でも多分。
言わなくても、分かってくれてる気がする。
他の誰に分かってもらえなくてもいいよ。
お前にだけ、分かっていてもらえば、それで。
それだけが、必要なことだから。
なあ犬飼。
サボテンのこと、お前は覚えてるかな。
サボテンって、仙人の掌って書いて「仙人掌」なんだって。
それを知った時、俺はお前のことが思い浮かんだ。
俺にとって、お前の掌は誰よりも何よりも好きなものだったから。
暖かくて、ずっと触れていたいって思わせてくれるようなものだったから。
それでいて、仙人掌って棘が在って、誰も傍に寄せつけたがらないようなイメージもあるから。
だから、俺にとって仙人掌とお前が直結したのは仕方ないことだったんだろうな。
二人で出かけた時に、掌に乗るぐらいの小さな仙人掌を買ったよな。
お前は何で俺が仙人掌なんか欲しがるのか分からないって顔してたけど、それでも選ぶのを真剣な顔で手伝ってくれてさ。
あの時に買った仙人掌は、今でも俺の部屋に置いてあるよ。
見るたびにお前を思い出して、胸が痛むのとお前を想って幸せな気分になるのと、両方が訪れて複雑な気持ちになる。
辛くないなんて言えないけど。
お前が隣りにいないことがどうしようもなく寂しくなることはあるけど。
それでも俺は、お前に会えたこと、お前と一緒の時間を過ごせたことを否定したりはしない。できない。
だって、すごく幸せだったからさ。
お前に会えて、お前に触れて。
誰かを愛しいと想う心地、それを知ることができたこと。
それは、間違いじゃないだろ。
消えたりしないだろ。
変わらないものはない。
けど、その一瞬に感じた心地は、嘘じゃない。
その瞬間は、消えたりしない。
それを教えてくれたのは、犬飼、お前だよ。
今でも俺は、お前が好きだよ。
これから先、何があっても。たとえば他の誰かと恋愛をするようなことになっても、きっとずっとお前のことは好きでいると思う。
それがエゴなんだって詰られても、きっと俺は笑っていられるだろう。
お前に想いを寄せたこと、その幸せ、それは間違いじゃないから。
その想いは、今でさえこんなにも俺の心を暖かくするから。
ああ、そうだ。
お前と一緒に選んだ、仙人掌な。
ついこの前、花が咲いたよ。
一つだけだけど。
小さい仙人掌に相応しい、小さな花だけど。
赤くて、カワイイ花を咲かせた。
俺、それがすっげー嬉しくてさ。
変わってしまうこと、それって悪いことばかりじゃないんだなって。
そんなことを思ったよ。
なあ、俺とお前も。
いつか、この先の未来の、どこかで。
花を咲かせた仙人掌みたいに。
変わってしまったけど、もう一度出会えたりするかな。
分からないけど。
だけど、俺は、それを望んでやまない。
END
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