Ver.霧咲雀 「顔が見たくて」 鳴り出した携帯に、天国はがばりと身を起こした。 起き抜けとは思えない動作で、枕元の携帯を引っ掴む。 二つ折りのそれをぱちりと開いた天国は、表示される名前を確認しようともせずに通話ボタンを押した。 「もしもし、キリー?」 耳に押し当て、相手が名乗る前にそう問う。 鳴り出した電子音は、彼専用に登録したものだったから。 彼…天国の、中学時代のちょっとした顔馴染。 まさか彼と天国が知り合いであるなどとは、あまり予想しえないだろう人物。 キリー、と天国が呼んだその人物とは…霧咲雀、その人だった。 『天 現在 時間 有?』 「おう、平気平気。ってか何だよ、どうしたんだ?」 『……自分 睡眠 妨害?』 一瞬の沈黙の後。 霧咲の、心配そうな声がそう告げた。 天国は思わず顔を顰める。 洞察力の鋭い彼は、おそらく天国の声音がいつもと違うことに気付いたのだろう。 ヘタな嘘は逆効果なことを知っていたから、天国は彼に見えるわけではないと知りながら電話を握っていない方の手を上げた。 ホールドアップ、降参の合図のように。 「おー、まぁ、寝てたけどさ。キリーの声聞けて嬉しいから、平気ー」 『体調 劣悪?』 「へ・い・き・だっつの。マジ気にしなくていーって」 『謝罪……』 「もういいってのに……てか、何か用だったんだろ? こんな時間にかけてくるぐらいなんだから」 遮るように問えば、電話の向こうで霧咲が少し笑ったような気配がする。 一体何だというのか、皆目見当が付かずに天国はただ首を傾げた。 学園の寮で生活している霧咲だが、この時間の電話を部屋でかけているとは思えない。 寮は二人部屋だと聞き及んでいたから、ベランダか廊下か、どちらにしろ部屋から出て話しているのだろう。 霧咲は今どこにいるのだろう。 そんなことが気に掛かっている自分が、何だかおかしかった。 『天 十分後 誕生日』 「へ? あ、そういや明日って25日だっけか!」 告げられた言葉に、明日が25日だということに気付いた。 予選も佳境の最近は、日付の感覚も天国の中では曖昧になっていたらしい。 思わず乾いた笑いを洩らす天国に、電話の向こうの霧咲が怪訝そうに呆れたように息を吐くのが聞こえてきた。 『忘却?』 「朝は覚えてたんだけどさ…部活で疲れちまって、それどころじゃなかったっつーか」 『天 己 無碍 過去 同一』 「うっ、んなことねーよー…」 言い返す言葉にキレがないのは、つい今しがた日付を忘れるなんてことを仕出かしてしまった為だ。 天国自身、今の自分の言葉に説得力の欠片もないのは分かり過ぎるほど分かっていた。 沈黙している電話の向こうから、車のものらしいクラクションの音が遠く聞こえてきた。 ……外にいるのか。 それに気付いた天国の目が、僅かに細められる。 と、次の瞬間、天国は布団を跳ね飛ばすようにして立ち上がっていた。 『体調管理 要 注意』 「うん、分かってるって。俺も今やスポーツマンだかんな」 『天 無茶 多数 周囲 心配』 「……それも、分かってるって」 心配性だな、と呟こうとしたがそれを言ったら詰られそうな予感がしたので口にはしなかった。 何より今の天国は、電話を肩に挟みごそごそと着替えていたのでそれどころではなかったのである。 着替え、とは言っても寝巻きにしていたジャージを、ジーンズに履き替えるくらいだったのだけれど。 音を立てないように。それに細心の注意を払いながら、天国はそっと部屋のドアを開けて廊下に出た。 踏み出した足の先、床板がぎしりと音を立てるのに思わず顔を顰める。 それはほんの僅かな音だったが、繋がったままの携帯から向こうにその音が聞こえてしまったのではないかと思ったのだ。 『天』 「んー?」 『以前 天 自分 会話 記憶?』 「何のことか言ってくれねーと、流石に分かんねーんだけど」 苦笑しながら、天国は階段を降りる。 天国が笑うのに合わせて、霧咲も笑ったようだった。 どうやら天国が部屋を出たことには気付いていないらしい。 それに安堵しつつも、天国は霧咲の言葉に耳を傾ける。 霧咲の声は、優しい響きで天国の耳を穿った。 昔と変わらない、その音は。 無性に天国を安心させた。 音を立てないように、サンダルを引っ掛けて鍵を開けた。 外の空気が、熱帯夜らしくむわりと纏わりついてくるようで。 それに天国は一瞬眉を顰めた。 『自分 天 贈答』 「ああ、火星のことか」 皆まで言われずとも、霧咲の示すことが何かに気付く。 火星、と口にした天国は無意識に左耳に指をやっていた。 指先に触れる金属の感触。 耳元を覆うほどに髪を伸ばしているせいで気づかれることは少ないが、天国の耳には密かにピアスホールが開いている。 運動中は流石に外しているものの、それ以外はほぼ付けたままのそれ。 真紅のそれを見た瞬間に、火星のようだと言ったのは天国だった。 その時からずっと、天国はそのピアスを火星と呼び続けている。 『時間 距離 離別』 霧咲の紡いだ言葉は、天国が火星を貰ったその時に言われたそれと、寸分違わぬもの。 過去の記憶が呼び戻され、天国は一瞬だけ目を伏せた。 返す言葉は、決まりきっている。 あの時、天国が霧咲の言葉に返したのは。 「うん。ずっと、友達でいる」 頷きながら、天国は電話を持っていない方の手を顔の前辺りに差し出す。 おそらくは、電話の向こうの霧咲も同様に手を上げているだろう。 夜の空気、星空に向けて小指を立てる。 今は、あの時のように立てた指に絡まるもう一つの指はないのだけれど。 それでも、寂しさを感じたりはしない。 同じ空の下、霧咲も自分と同じように指を立てて笑っているのだろうと思えば、寂しさなど覚える必要もなかった。 何より、今は。 歩いていく先、街灯が照らしている影を視界に捉えた天国が、ふっと口の端を引き上げる。 見つけた背中は、近付く天国に気付く様子はない。 自然歩む速度が上がる。 天国は、声が届く距離まで近付くと足を止めた。 「約束、な。キリー」 『?! 天っ?』 目の前の背中が、びくりと震え。 耳に当てた携帯と、目の前の霧咲本人からの声とが二重に空気を震わせた。 それに、天国は楽しげに笑う。 「見ーっけた。お前、かくれんぼ苦手?」 歯を見せて、悪戯が成功した子供のような顔で笑いながら。 天国は、目の前にいる霧咲にひらひらと手を振った。 住宅街の中にひっそりと在る、小さな公園。 ブランコが二つと、シーソーが一つしかない公園は、真夜中の空気の中ひどく寂しそうに見えた。 そのブランコを囲う柵に腰掛ける影、それが霧咲だった。 相当驚いたのだろう、振り向いたそのままの体勢で硬直している霧咲に、天国は微苦笑し。 携帯の通話を切ると、つかつかと霧咲に歩み寄って行く。 そのまま天国は、霧咲の正面にあるブランコに座った。 「おー、なんか小っちぇえのな。ははっ、でもブランコ乗るの久々ー」 「天 明日 予選」 「うん。知ってる」 けろりとした顔で頷く天国に、霧咲は困ったように表情を曇らせた。 それに、天国は立てた小指を突きつけるように見せて。 「キリーは言ってくれねえの?」 「……約束」 言葉と共に、立てた小指にふわりと霧咲の指が触れる。 絡められたその指は、昔と少しも変わっていなかった。 それに、天国はにこりと笑う。 無防備な、ただ嬉しいことを嬉しいと表に出した、そんな顔で。 天国の笑顔につられたように、霧咲もふっと笑った。 ようやく見ることが出来た柔らかな表情に、天国は訳もなく安堵するのを感じていた。 「あの時と、一緒だな」 「天 此 発言時 自分 凄烈 歓喜」 「だって俺もすげー嬉しかったんだよ。キリーにコレ、貰えた時さ」 コレ、と言いながら天国は耳を覆う髪をかき上げ、耳朶でその存在を主張するピアスを霧咲に見せた。 示したそれは、紛うことなく霧咲に貰った火星だ。 霧咲は見せられたそれに目を細め、おずおずと天国の耳元に指をやる。 指先が耳朶に触れるのがくすぐったくて、天国は笑うのを耐えるようにふっと息を吐いた。 「物を貰えたってことじゃなくて。キリーにさ。信頼の証を形にしてもらったみたいで、嬉しかった」 「天 存在 自分 救済」 「はえ? なーんだよそれ、大袈裟だな」 「事実」 にこりと、霧咲が笑う。 間近で見る笑顔に、天国は思わず顔が赤くなるのを感じた。 今更のことだが、霧咲の酷く整った顔が目の前にあることに羞恥を覚える。 どうしてこんなに、距離が近いんだろう。 耳朶に触れる指の熱が、何故だか酷く熱く感じられて。 言葉も、まして動くことも忘れて天国は霧咲を呆然と見上げていた。 「天」 「な、何だっ?」 「自分 真実 今夜 邂逅 希望」 会いたくて。 ただ、顔が見たくてここに来たのだと。 申し訳なさそうにしながら、霧咲は告げた。 寮を抜け出して、夜の街を歩いて。 呼び出す勇気は持てずに、けれど誰よりも早く告げたかった祝いの言葉。 言葉を紡ぎながら、霧咲はポケットから取り出した包みを天国の手に握らせた。 天国の耳朶、そこにあるピアスに触れていた指が、名残惜しげに離れていく。 その熱が離れていくのを、無性に寂しく感じた。 数瞬置いて、天国は手の中の包みに視線を落とす。 暫く手の中の包みと霧咲の顔とに視線をさ迷わせていた天国だが、やがて落ち着いたのか、置かれた包みが自分への贈答品だということに気付いた。 「これ、俺にくれんのか?」 「勿論 生誕祝」 「へへ……祝われるのって、ちょっと照れくさいけどやっぱ、嬉しいな。キリー、さんきゅ」 手の中の包みを軽く握り締め、天国ははにかむように笑う。 霧咲は、恐らく普段の彼ならばついぞ見せないような柔らかな光を湛えた目を、天国に向けている。 手にした包みは決して大きなものでも、重いものでもなかったが。 天国にとっては、耳朶に色を落とすピアスと同等に、何にも変え難い物だった。 嬉しい、と。 他のどんな気持ちが混ざることもなくそう思えるのは、そう感じることが出来る自分は、幸せなのだろうと。 唐突に、そんなことを考えた。 そう思うと同時に、目の奥がじわりと熱くなる。 天国はそれを振り払うように、ぶんぶんと頭を振った。 それを見た霧咲が、首を傾げる。 「天?」 「っし、俺はやるぜ!」 「突然 如何?」 「嬉しい、とかさ。大切、とかそういうの。重くないって言ったら嘘になるけどさ。でも、やっぱりそういうのは、なきゃ駄目なんだ」 特に俺みたいな奴には。 言って、天国は霧咲からもらった包みに唇を寄せる。 唐突な言動に驚いたらしい霧咲が、きっと傍目からでは分からない程度に目を見開いたのに、天国は満足げに笑う。 弧を描いた唇は、どこか挑戦的な笑みを湛えていた。 大切なものが増えると、思うように身動きが取れなくなるかもしれない。 その重さを失うのが怖くて、一歩踏み出すのに余計に気を遣うかもしれない。 だけれど、他の誰でもない自分が望んで引き受けたものなら、何より全力で抱えたい。 それが、天国を支える真実だ。 増え続ける大切は、いつしか歩みを止める材料になるのだと。 そう警告されても、俺はバカだから何かを切り捨てたりなんて出来やしない。 捨てられないのなら、全て抱えて進むまでだ。 それ以外なんて、きっと俺にはあり得ない。 「キリー、あんがとな! 俺、今日お前に会えて良かった」 座っていたブランコから立ち上がり、天国は霧咲の肩に握った拳を当てる。 その顔には、今までになくスッキリとした色が伺えた。 何かを吹っ切ったような。 それでいて、何かを決意したような。 「そろそろ帰るか。キリー、寮は平気なのか?」 「応援要請 万端」 「そっか。……今日はマジ、嬉しかった。お返し、期待してろよな〜?」 冗談めかして言っている天国だが、半分以上本気なのだろう。 それが分かっているだけに、霧咲はヘタに言葉を返すことなく曖昧に笑うにとどめた。 夏の夜の空気は、冬のそれとは違う。 張り詰めたような痛々しさはないけれど、やんわりと流れる時間はゆっくりと息を吐くのに丁度いい。 伸びをしながら歩き出した天国の背に、声がかけられる。 「天国」 「え、今、名前」 「自分 行 対華武戦 観戦」 霧咲の言葉に、天国は一瞬その意味を反芻するように黙り込んだ。 それからゆっくり、瞼を伏せるように一度、瞬きをする。 言葉が体に染み入るのを感じているかのように。 そうしてから、天国はにやりと笑い。 びし、と霧咲に指を突き付け、言った。 「おうっ、ホームランかっ飛ばすから、見てろよな!」 いっそ潔いその言葉に、霧咲は頷き笑う。 何を言うでもなく霧咲が天国に向けて手のひらを差し出せば、その意を解した天国が笑いながら手を伸ばしてくる。 真夜中の空気を、ぱしん、という音が揺らした。 END UPDATE/2004.8.21 長くてすいません… 霧咲氏の口調は難しいです。 なんだか自分のオリジナルみたいになってきましたが… (一人称を自分、にしたりとか) 「天 此 発言時 自分 凄烈 歓喜」を訳すと (天が此れを言ってくれた時、俺は凄く嬉しかった)みたいな感じで。 解説のいる話を書くな自分… |
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