ラジオから流れる、甘ったるいラブ・ソング。
ピアノが弾きたいな、とふと思った。
Ich
Liebe Dich
「しーばー」
教室の後ろのドアから、目当ての人物の名を呼ぶ。
そう大きな声で呼んだわけでもないのに、呼ばれた司馬は瞬時にそれに気付いた。
随時ヘッドフォンを装着していて、そこからは常に音楽が流れているというのにちゃんと人の声を聞き分けられるのは、実は凄いことだと天国は常々思っていた。
廊下に出てきた司馬は、天国の前で首を傾げた。
どうかした? のジェスチャー。
知り合った当初はこの無口な男の言わんとすることが理解できなくて、それこそ半分逃げるような態度を取っていたが。
ある時音楽のことで話をしてから、それまでが嘘のように司馬の無音の言葉が理解できるようになった。
「これ、約束してたMD。俺のオススメクラシック集♪」
ポケットからMDを取り出して、司馬に差し出す。
それを受け取った司馬が、ふっとはにかむように笑った。
ありがとう、の表情。
天国はそれにつられるように、ふっと微笑する。
無言の言葉。なんて矛盾した響きだろう。
でも、それでも。
俺には確かに、司馬の言葉が聞こえるから。
優しい響きが、俺は確かに好きだから。
「なー司馬、今日昼休み暇?」
天国は辺りを見回してから、司馬の耳元にこそっと囁いた。
その言葉に、司馬がサングラスの奥で僅かに目を丸くする。
天国からはそれは見えなかったが、司馬のその感情はちゃんと天国に伝わっていて。
「昼飯一緒に食わね?」
いいよ。
こく、と司馬が頷く。
それを見た天国は笑みを浮かべ。
「ピアノ弾きたくてさ。でも音楽室って一人じゃ行きにくいんだよな。付き合って?」
ピアノ、弾けるんだ?
「ん、結構得意。お前のギターにも劣らねーぜ?」
リクエスト、してもいい?
「何?」
問うと、司馬は手に持ったMDをくるりと裏返しレーベル面を見ていたが、その中の一曲を指差した。
それを見た天国がふとなんとも言えない表情になる。
苦笑とも微笑とも言えない、けれど人の目を引くような。
普段の、粗暴なばかりの天国しか知らない人間が見たのなら驚くこと確実と言えるような。
「それ…司馬のことだから、意味なんて分かってるよな? ……ストレートすぎ」
頬を赤く染めつつ、天国はそんな顔を見られまいと片手で顔の下半分を覆った。
だって、本当のことだし。
「……お前、無口で良かったな」
なんで?
「だってそんな台詞真顔で口にできるヤツって……ちょっと、コワイ。つうか、タラシだって」
思ったこと正直に言ってるだけだよ。
「ん、知ってる」
耳まで赤くなっている自分を自覚しつつ、天国は顔を隠していた手を離した。
もうここまで来たからには、隠したって無駄だと思ったから。
――隠したって無駄なのは、赤くなった顔か、それとも…
司馬へ向かう、この想いか。
多分、両方だ。
「大丈夫、俺も一緒だし。お前のそーいうトコ、俺も好きだし」
うん、知ってるよ。
「……なんか、それもムカつく」
天国がそう呟いた所で、タイムリミットを告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、昼休みに来るな」
うん、待ってるから。
司馬に手を振り、天国は教室に戻るべく踵を返した。
「Ich Liebe Dichね…俺だってわざわざそれ入れたんだっつの」
小声で呟き、天国はまた熱くなる頬をぱたぱたと手で扇いだのだった。
・Ich Liebe Dich(君を愛す)…グリーク作曲
〜fin〜