【Variante-ヴァリアンテ- パロ】 (宝生アイコ=新八、須堂=銀時) 薄暗い廊下を自室に向かって歩んでいる途中で、人影に気付いた。 壁に背をもたれかけ、やる気なさそうな佇まい。 「銀さん」 「顔色ワリーなあ、お前」 「気分よくはないですから」 開口一番失礼なことをのたまう銀時に、新八は投げ遣りに言葉を返す。 銀時の態度はいつもの事だし、それを気にしているワケでもないのだけれど。 今は、どうにも気分が沈む。 大なり小なり、殺しをした後は口を開く事ですら億劫になるのだ。 誰にぶつけようもない怒りと哀しみ、そして苛立ちが胸の内で渦巻いていて。 それをどうしようもないから、ただ黙り込んで何もしたくない気分になる。 実際、殺しをした後は何をするでもなく寝入ってしまうことが常だった。 そんな時に見るのは、いつも悪夢ばかりなのだと分かっていても。 「ヤダって言えばいーのによ」 「ここ以外のどこに、僕が生きていく場所が在るんですか」 思いがけずキツイ口調になってしまった。 けれど今はそれを謝るだけの余裕がない。 この場所以外の、どこかで。 生きていけるというなら、そんな場所があるというなら、教えて欲しいぐらいだった。 化け物を宿した左腕を抱えて、どうすればいいのかを。 この腕で日常に戻れるはずもないことは、誰より新八自身が実感しているのだ。 語調同様、表情も強張っている新八に銀時は気まずげに苦笑した。 そんな表情一つでさえ、何故かきりきりと胸が痛む。 戻れないことなど、覚悟などとうに決めているのだ。 迷わせないでほしい。 そう、思ったけれど。 口には出来なかった。 「だーからよ、少しぐらいワガママ言ってみたらっつってんの。オマエまだ16だろ? それぐらい許してもらえるよ」 「……望むことなんて、ないです」 「うっわ、カワイクないねー、おま」 「女のコじゃないんですから、可愛くなくて結構です」 「あーのーなー……」 参ったね、とでも言いたげな顔で頭を掻いている銀時を、新八は冷めた目で見ていた。 付き合ってられない。 それでなくとも今は一人でいたい。 何も考えないでいたいのだ。 もう放っておこうと歩き出す。 銀時の前を通りすぎた、そう思った矢先に。 腕を掴まれ、引き止められた。 掴まれたのは、左腕。 手首の辺りを銀時の手がしっかりと握っている。 「やめ、触ん、な……っ!」 ぞわり、と背筋が震えた。 この腕に触れられるのは、どんな状況下であれ怖い。 触れたもの全てを死に引きずり込んでいくような、そんな気がしているから。 だから、新八はここにいるのだ。 この研究所に残り、自分の大切な人たちを殺したヤツらを根絶やしにしてしまう為に。 この腕で死に引きずり込む為に。 どれだけの虚無と孤独を抱えてもこの場所に留まっているのはその為だ。 死を呼ぶ左腕。 そこに今、触れられている。 異形を抱えた自分に、それでも他者と変わらず接してくれる人が。 「離して、ください」 どく、どく、どく。 実験中にもヤツらを前にした時にも、感じたことのない類の緊張を感じる。 死を意識したものではないそれは、ただ新八を混乱させた。 喉が乾くような気がして、こくりと口の中に溜まっていた唾液を嚥下する。 その音がやけに耳についた。 「振り払えばいーじゃん」 「何が起こるか予測がつかないから、手荒く扱いたくないんです」 言外に、アンタの命も危ないんだよと告げる。 それでも銀時は掴んだ腕を離そうとはしない。 苛立ち声を荒げそうになって、それをグッと耐えた。 何が起こるか分からないというのはあながちハッタリでもないのだ。 例え僅かな事であろうと腕を刺激するようなことは避けたかった。 息をする事にすら気を遣いながら、新八はギロリと銀時を睨み上げる。 こんな時でも銀時の目は相変わらずで。 それがまた新八の混乱を煽るようだった。 「何、考えてんですか」 「んー。どうやったら新ちゃんが泣くかなーって」 「……泣きませんよ」 「ぜーんぶ一人で背負い込んじゃうからさ、顔色ワリーんだよ」 「関係ないと思いますけど」 銀時がワケが分からないのは常だが、こんな状況下でも変わらないのはどこか腹立たしい。 けれどその突拍子のなさに怒りを通り越して呆れを感じてしまっている自分に、新八は気付いていた。 ともかく今は、腕を離してほしい。 改めてそう訴えようとしたところで、突然視界が暗くなった。 同時に感じる、圧迫感。 「え、ちょ、何してんだアンタ!!」 敬語も腕のことも忘れて、思わず叫んでいた。 視界が暗くなったのは、銀時が空いた片手で新八の頭をその胸元に抱え込んだからだ。 圧迫感は、銀時の腕が新八の頭を押さえているから。 あまりに唐突で、且つ理解の出来ない行動に思わず暴れる。 しかし体躯の差の所為か否か、その腕から逃れることは叶わなかった。 何で、と呆然としていると頭の上から声が降ってくる。 「分かるか? オマエは俺に力勝負じゃ敵わないぐれーには、ガキなんだってことだ」 「それと…っ、これとはっ、くう、話が違う、でしょう!」 「おーおー、頑張るねえ。ガキは大人にもたれてていーんだよ」 そーいうもんだろ。 飄々とした声は、いつもと寸分違わない。 多分きっと、その表情もいつも通りなのだろう。 何とかかんとか銀時の腕から逃れ様ともがいている新八には、それが悔しくてたまらなかった。 左腕は未だ、銀時の手に掴まれたままだ。 どれだけ新八が苛立ち焦れようとも、異形に変わる気配はなかった。 それに安堵しながら、触れる銀時の体温に泣きたくなる。 人だ。 自分ではない誰かの暖かさだ。 生きている人の、ぬくもり。 それがこんなにも愛しく思えるものだなんて。 「しっかしお前体温高いなあ。子供体温てヤツか?」 ぽつり、銀時が言った。 何気ない言葉。 けれどそれに、新八はぴたりと動きを止める。 お、と銀時が不思議そうに声をあげるのをどこか遠くで聞いていた。 目の奥が熱い。 悔しい。 泣きたくなんて、ないのに。 それでも。 「僕は……」 声が震える。 多分、ずっと誰かに聞きたかった。 けれど否定されてしまうのが怖くて、誰にも聞けなかった。 左腕を掴んでいる銀時の手に、そっと右手を重ねた。 指が震えているのに、銀時は気付いただろうけれど。何も言ってこなかった。その優しさが嬉しかった。 触れた指が、暖かい。 生きている。 当たり前だけれどたまらなくなって、ぎゅっと目を閉じた。 その拍子に、浮かんでいた涙が眦から頬に伝う。 「僕は、まだ……人間、ですか…ッ」 こんな左腕でも。 まだ、人でいられますか。 人でいていいですか。 暖かな体温を持つ者だと、人間なのだと、言ってくれますか。 諦めていた。 認めていた。 その、つもりだった。 自分が人ではない、と。 異形を飼う自分が人間として扱われることなど、ないのだと。 分かっているフリをして、だから平気だと思っていた。 だけど。 思っている、だけだった。 人でいたい。 人として扱われたい。 この左腕を抱えて、それでも尚。 人間なのだと、認めてほしい。 心の奥底を暴かれて、涙が止まらない。 銀時の胸元に縋りつくように頭を押しつければ、ぽんぽんと背中を優しく叩かれた。 「当ったり前だろ。あのなあ、もっと俺のこと、頼れよ。俺はお前の味方だって言ったろ?」 声が出せる状態ではなかったので、頷くことでそれに答えた。 泣き虫新ちゃん、と歌うように銀時が呟いているのを聞いて。 涙が止まったらお礼を言って、とりあえず軽く殴っておこうと、誓った。 END |
Web拍手掲載期間→2006.6.12〜2006.10.16 |