噂の人物、高杉晋助との邂逅を果たした、次の日。
 あれから名乗りあった後、暫く話をしてから別れた。
 話の内容はといえば、他愛もないことだ。先ずは弁当の話。そこから料理の話になり、学校の話になり、とどんどん分岐していった。
 それは高杉に関する数々の噂がまるで信じられない程に、穏やかな時間だった。
 別れ際、高杉がまたな、と言ってくれたのが嬉しかった。
 次の機会があってもいい、と認められているようで。

 だから、まさか。
 その「次の機会」とやらがいきなり翌日にやってくるなどとは、欠片も予想していなかったのだ。



 昼休み。
 ざわついていた教室が突然静まり、何が起こったのかと顔を上げた。
 そうして視界に入ってきた光景に、新八は目を丸くする。
 ぱちりと瞬いて、そりゃ静まりもするよね、と納得した。
 ドアを開けて入って来たのが(こう言っては何だが)悪名高い高杉で、しかも脇目も振らずに向かう先がどう見ても何の共通点もない眼鏡こと志村新八の元なのだから。
 注目を浴びまくっていることなど意にも介さず悠々とした足取りでやって来た高杉は、新八の机の横で足を止める。

「こんにちは高杉さん」
「……あァ」

 挨拶すれば、だるそうな返事をされた。
 言葉少なな様子を見ると、どうやら昨日と同様に空腹らしい。
 ただ不可解なのは、高杉の右手にはコンビニのものらしいビニール袋が下げられていて、そこからパンやペットボトルが覗いている事だ。
 つまり、新八に弁当を分けてもらいに来たわけではないようだった。
 何しに来たんだろうなあ、と疑問に思っていると目の前に手が差し出された。
 高杉がビニール袋を持っていない方の手…つまり左手を、掌を上にしてまるで何かを強請るように新八に向けて差し出している。
 ……意味が分からない。
 聞こうとして、顔のすぐ前にある手の所為で口を開けなかった。近すぎるのだ。顔のすぐ前、喋ればきっと吐息ですらかかるような。
 ともかく少し横にどけてもらおうと高杉の手に己の手をかけた、その時だ。
 新八の行動に驚いたらしい高杉が僅かにだが目を見開き、それが伝わってきてしまった新八もまた驚かされた。

 え、ちょ、何、なんなんですか。
 今この人手ぇ震えたよね少しだけど。
 何でもないような顔してるけど滅茶苦茶驚きました、ってカンジだったよね。
 そんなんこっちが驚くんですけど。
 僕何かしましたか。
 というか、聞きたいのは「ナニカヨウデスカ」って事なんですけどね。

 その、たった八文字の言葉が出てこない。
 驚きと途惑いに、新八の脳内は混乱していた。
 いくら3Zで不測の事態に慣れたとは言っても、驚くものは驚くのだ。
 ともかく一旦この手を引こう、と思ったその瞬間、逆に高杉に手を握られた。

「ぅえ」

 そのまま引っ張られ、椅子から立ち上がらされる。
 何を強引な、というか何がしたいんだ、と呆けていると、高杉の右手が机の上に伸ばされた。その手が掴んだのは新八の弁当包みだ。
 そこまでされてようやく高杉の意図を悟る。
 どうやら昼食に誘われていたらしい。
 ちょっとは喋ろうとしてくださいよ、と思いはしたものの空腹時の高杉が極端に無口になるのは(昨日半ば無理矢理)知らされていたから、今更言い募る気にもなれなかった。
 とりあえず彼の意図は解したので、答えを返す代わりに高杉に握られていない方の手で机に残されたペットボトル(伊●衛門500ml)を掴む。それを見た高杉が、薄く笑んだ。

 うわあ、悪そうな笑い方だ。
 昨日話をしているから、新八は高杉という人物を少なからず知っている。知り合ったばかりだから旧知の仲、と呼べるほどのものでは決してないけれど、少なくとも噂に聞くほど悪い人間ではないのだ、という事ぐらいは。
 だが、それを知っていて尚悪そうだ、と感じるのだから何も知らない人から見れば、やはり恐ろしいものに写るのだろう。
 目付き悪いもんなあ。損してるよなあこの人。
 そうこうしているうちに、高杉は掴んだ新八の手を引いて歩き出した。
 突っ立っていても転ぶだけなので、何より新八自身彼の昼食の誘いを受ける気になっていたので、引かれるまま足を動かす。
 手は繋いだままなんですか、とちらりと思いはしたものの、言っても今の高杉から答えが返ってくることはなさそうだったので放置しておくことにした。
 救いはこの場に姉や神楽がいないことだろう。
 昼休み前が男女別の体育授業だったので、まだ戻ってきていないのだ。
 屋上へ向かうルートを考えても、鉢合わせする可能性はほぼない。

「新八君?!」

 名前を呼ばれたのは、教室のドアに差し掛かった辺りでだった。
 声から察するに近藤だろう。
 新八は振り向き、ひらりと手…は塞がっていたので持っているペットボトル(伊●衛門500ml)を振った。

「お昼食べてきます、って姉上に伝えておいてください」
「あ、ああ」

 意識してにっこりと、姉に似ていると言われる方の笑顔を作りながら言う。笑顔の裏に潜む言葉は「逆らったら張っ倒しますよ」だ。
 近藤は大分困惑しているようではあったが、頷いてくれたのでこれで姉には不在の理由が伝わるはずだ。
 ストーカー紛いの行動を取るほどの近藤だから、妙に正当な理由で近づけるとあらば喜んで実行するだろうから。
 ……伝えた後高確率で鉄拳を貰うだろうけれど、そこまでは新八の知ったことじゃなかった。

 まあいつも殴られてるし、いいよね。
 それにしてもツッコミなかったなあ。皆ボケてばっかだから耐性ないんだろうけどさ。
 今もだけど、男同士で手つなぎ、っていうのに誰も何も言わないよ。スルーもいいとこだよ。
 それを振り払わないのもどうなのか、って言われたら立つ瀬ないけど。電池切れてる高杉さんの相手、面倒だし。
 ……ああ、そうか。高杉さんだもんね。
 空腹時で当社比1.5倍くらいは目付き悪い気がするしね。
 そりゃツッコミ入れようなんて猛者はいるわけないか……

 廊下を歩きながら、つらつらとそんな事を考える。
 すれ違う人は、皆一様に驚いた顔はするのだが、すぐに視線を逸らしてしまう。関わり合いたくない、というのがありありと見て取れた。
 面倒だから、という理由でその手を拒まない自分も自分だとは考えていたから、別に文句はないけれど。
 行き交う人々にもれなく驚愕を与えながら、結局新八は屋上に着くまでずっと高杉に手を握られたままでいた。



 昨日と同じような位置に座って、さあ昼食だ、と高杉が持っている弁当を受け取ろうと手を出した。
 が、手渡されたのは見慣れた弁当包みではなく、高杉が最初から持っていたビニール袋の方だった。

「あの……逆ですけど」

 指摘すれば高杉は一瞬動きを止め、持っていた新八の弁当を胸元に抱え込むようにした。
 その仕草を見て、思わず言葉が出てこなかった。
 出てきたとしても、可愛いんですけどこの人、とかトンデモ発言だっただろうから、沈黙の方が些かマシだっただろう。
 だって、まさか、そんな。
 色々と不穏な噂の纏わり着いてる「あの」高杉が子供っぽく見えて可愛い、だなんて。一瞬でも考えてしまった自分が憎い。
 しかし一度考えてしまった事に変わりはなく、またしっかりと脳内に焼きついた言葉は暫く消えてくれそうにもなかった。

 ……どうしてこうも自分の周囲に集まってくるのは我の強いタイプばかりなのだろう。
 類は友を呼ぶのではなかったのか。
 それとも自身で気づいていなかっただけで、自分もしっかり我の強いタイプなのだろうか。
 思わず悩みかけ、いやそれはない彼らと並ぶ程のオリジナリティは自分にはない、と直ぐに否定した。
 どちらにしろ、経験上こうなったからには相手が譲ることはない。
 一応は自分の分まで用意してくれたのだから、それで納得しておくべきか。
 盛大な溜息を吐きながら、新八は肩を落とした。

「いいですよ。じゃ、交換で」

 言えば、高杉は新八の弁当包みを解き出したので、新八も貰ったビニール袋を覗いてみる。
 コロッケパンが一つと、おにぎり二つと唐揚げと漬物がセットになっているものが一つ。
 意外とマトモなラインナップに驚きつつ、ご相伴に預かることにした。
 昼食に自分で作った弁当以外のものを食べるのは随分と久々のことで、それが何だか新鮮でくすぐったいような気分だった。


「そういやお前、姉貴いんのか」

 例の如く空腹が解消されたらしい高杉が口を開いたのは、二人ともが食べ終わってやや経ってからだった。
 この人なんでこんなに極端なんだろうなあ、と思いつつお茶を飲んでいた新八はこくりと頷く。
 頷きながら少し感心していた。教室を出る直前に近藤と交わしていた会話を、ちゃんと拾っていたらしい。

「いますよ。志村妙っていう」
「志村……あァ、あの」

 少し考えた後思い当たるフシがあるらしく頷かれ、複雑な心境になった。
 明らかに他人に興味のなさそうな高杉の耳に入るほどの噂、だなんて。
 姉上、どんな伝説作ってるんですか……
 聞きたいような聞きたくないような。失笑していると、高杉と目が合う。

「ゴリラ女の弟にしちゃァ、随分と大人しいじゃねェか」
「ゴ……人の姉を何て呼び方してくれてるんですか」
「俺は噂で聞いてるだけだ。本人がどんな奴かまでは知らねぇよ」

 肩を竦めながらの言葉には、本当に悪意というものが含まれていなかった。
 本人の耳に入れば無事では済まないこと必至だろうけれど。
 黙ってしまった新八をどう思ったのか、高杉は僅かに笑って。

「いいんじゃねェか。お前ェの料理の腕は、悪かねェよ」

 付け加えられたフォローなのか何なのかイマイチ分からない言葉に、新八は苦笑を返したのだった。



 それから昨日同様に他愛もない話をしてから、予鈴の少し前に別れた。
 別れ際に「明日は唐揚げが食いてェ」などとリクエストされてしまい、明日の昼の約束を取り付けられたり。唐突なリクエストに関わらず何故か答える気でいたり、と我ながら浮き足立っているような気分で教室のドアを開けた。
 その、瞬間だった。
 物凄い力で襟元を掴み上げられ、足先が宙に浮いた。

「…っ、な、に……?!」
「新ちゃん心配したのよォォ! 不良に連れ去られたって言うじゃないの!」
「あね、うえ……っ、息……っ」

 ヤバイ。肉親に殺される。
 見た目たおやかな細腕なのに、どこにこんな力があるのだろう。
 毎度吊るし上げられる近藤を見て不思議に思っていたが、まさか自分がその餌食になるとは。
 息が出来ない、と告げることも出来ず揺さぶられて意識が遠のきかけた時、手を離されがくりと座り込んだ。
 咳き込みながら何があったのかと辺りを見回すと、妙は既にボロ雑巾のようになった近藤を更に締め上げていた。
 テメェェ無事じゃねーか、などと言っているのが聞こえる。

 近藤さん嘘言ったわけじゃないんだけどなぁ。
 そう思ったが、締め上げられている近藤がそれはそれで幸せそうにも見えたので、放っておくことにした。
 というか、新八自身姉に揺さぶられたダメージから回復しきっていなかったというのもあるのだが。

「新八ィ! ゆすられたカ、たかられたアルか?」

 咳が治まった頃声をかけてきたのは神楽だった。
 噂の不良と単なる一生徒(しかも印象正反対のメガネだ)とではそう思われるのか、と思いながら首を振る。

「違うよ。お昼一緒に食べてきただけ」
「なんだ、そうなのかィ。俺ァ不良とメガネが手に手を取って逃避行した、って聞いてやすがねェ」

 ニヤニヤ、という形容詞がここまでしっくりくる表情もないだろうな、と思わせる笑顔を浮かべて口を挟んできたのは沖田だ。
 新八はうんざりした顔で溜息を吐く。
 何せ沖田と言えば三度の飯より人をおちょくる事に生き甲斐を見出していると言われて久しい人物だ。クラスメイトとしてその行動の数々を傍から見ていた新八は、その性質の悪さをちゃんと知っている。
 何より彼は、新八が高杉に連れ出される場面を目の前で見ているはずなのに。(新八の後ろの席は沖田だ)

「沖田さん……なんですかその適当極まりない噂は」
「いやいや、聞いた話だぜィ?」
「誰にですか」
「俺」
「お前が捏造したんじゃねえかよ!!」

 ツッコミ、ああもうやだ、と肩を落とす。
 沖田に体のいいからかいのネタを与えてしまった事に、どうにも落ち込む気分を隠せない。
 かと言って高杉を恨む気にもなれないのだが。

「あらそうなの? 私は不良のパシリに選ばれたって聞いたけど」
「さっちゃんさん……違いますってば」
「私は新ちゃんが体育館裏に呼び出されたって聞いたのよねぇ」
「ちょ、近藤さん何伝えたんですか!」
「違うネ! 新八は犬にさせられたアル!」
「……パシリと被ってるよ神楽ちゃん」
「何てこったい!」

 指摘に頭を抱える神楽を見て、それはこっちの仕草だ、と思う。
 人の口に戸は立てられない。だから噂なんてものがまことしやかに囁かれるのだろうし。
 ましてここは3Z。
 噂や伝説、お祭り騒ぎには事欠かないクラスである。
 クラス内だけでこの有様だ。
 この先は何をかいわんや、である。
 明日になれば自分と高杉の噂が、性質の悪い伝染病のように学校中に広まっているに違いない。

「……騒がしくなりそうだなあ……」

 地味だ何だと言われようと、新八もまたしっかり3Zの一員なのだ。
 それを改めて実感させられ、力なく笑うことしか出来なかった。


END






「先輩の弁当を毎日作る事になった志村ってのはどいつの事っすかぁぁーッ!!」
「……ああホラ、やっぱりだよ」



 

 

続いちゃいました……な3Z高新です。
入院前に考えてたネタを入院中にざかざか下書きしていたという曰くつき(笑)
しかしこの話、続く、のか…? 需要ないのにっ(爆)


UPDATE/2008.09.01(月)

 

 

 

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