白の向こうに霞む横顔





 江戸に、積もるほどの雪が降った。
 この界隈で積もるほどの降雪は至極珍しい。
 手袋をしているのにそれでも冷えた指先を擦り合わせて苦笑しながら、新八は未だ雪が舞い続ける空を見上げた。


「今日は雪かきに追われそうだな……」


 一人ごち、雪の上にざくざくと足跡を残しながら歩く。
 目指す先は、スーパーだ。狙うは本日のタイムセール。
 本当ならばこんな日に買い物など御免被りたいというのが本音ではあるが、ありあわせでチャーハンすらも作れない冷蔵庫の中身に腰を上げざるをえなかった。

 神楽と定春は滅多に見られない雪に大喜びで外に遊びに行った。
 銀時は万事屋周辺の雪かきに追われているはずだ。(今月も滞納している家賃を盾にお登勢に雪の中に投げられていた)

 いつも歩いている道が、積もった雪のせいか見慣れない道のようだ。
 雪はまだやみそうにない。
 このまま降り続けるとなると、どれだけ積もるのだろうか。
 ある意味、仕事は増えそうだけど。
 そんなことを考えながらの道すがら、ふと何やら周囲がざわついているのに気付く。
 天候のせいか、道行く人はいつもよりずっと少なかったのだけれど。それでも、いつもとは違う空気が漂っているのは分かった。
 その原因が雪のせいだけではないのは、何となく肌で感じられた。
 危機や異変が何となく分かるようになったのは、万事屋に勤めるようになってからだ。手放しで喜べるかと言われれば、それには頬が引き攣りそうになるが。


「あの、何かあったんですか?」


 通りすがりの人を適当に捕まえ、問う。
 問われた男は、肩を竦めながら答えた。


「ああ、この先で車が横転しててさ。この雪だろ? どけるにも手間取ってるみたいでな」

「そうなんですか……」

「歩きなんだったら、横道入ってった方がよさそうだぜ」

「そうします。ありがとうございました」


 男に頭を下げ、どうしようか思案する。
 スーパーに行くにはこのまま直進するのが一番の近道なのだが、通れないというなら仕方がない。
 立ち止まり俯き気味で考えていた新八は、やがて顔を上げた。





「思ったより寒くないな……」


 流れる川を見下ろしながら、ぽつり呟く。
 風が強くないせいだろう。
 いつもは冷たい風が吹き荒れる川沿いだが、今日は何故か静かで。

 人がいないせいもあるだろう、ただただ雪が降り積もる河原はどことなく寂しげだった。
 子供が遊んでいるかとも思っていたのだが、予想に反して土手には人影はなかった。

 しんと、している。耳が痛くなるほどに。
 どこもかしこも白い。立ち尽くす新八自身をも覆い隠すかのように。
 吐く息すらも白く染まって、己の身までが雪に混ざってしまったような気分になる。
 静けさが、何もかもを染め上げる白さが、痛いような。
 このまま白に紛れて、今ここにいる自分さえ消えてしまいそうな気がする。
 そんなことありえないと分かっているのに。

 新八は知らず足を止めて、ぼんやりと川面に落ちる雪を眺めていた。
 舞うようなそれは、確かに綺麗だと表現するに正しいのだろうけれど。
 なんとなく、それだけではないような。
 それだけでは説明のつかないような、何とも言えない気持ちが胸の中に在る。
 淋しいとも哀しいとも言えない、漠然とした不安のようなもの。
 何かは分からないのに、きゅうと胸の奥が絞めつけられるようで。
 どうしてこんな気持ちになるのだろう。


「傘に雪、積もってますぜ?」

「っ!!」


 唐突に横から聞こえてきた声に、思わず身を竦めた。
 咄嗟のことに声も出ずに、ひゅうと息を吸い込んだ。
 人間本当に驚いた時は声も出ないものらしい。

 瞠目している新八を余所に、声をかけてきた人物は無遠慮に手を伸ばしてくる。
 その手が新八の傘を前に傾けた。
 ずざ、と音を立てながら傘に積もっていたのであろう雪が落ちる。
 ああそういえば何か少し重いような気がしてたんだ。
 なんて、今更のように考えた。
 呆けている間に、傾けた時と同じような唐突さで、傘が元の位置に戻される。
 雪を落としてくれた人物の手には、けれど傘は握られていなかった。


「な、にしてんですか、沖田さん」


 ようやく驚きを飲み込み、声を出せるようになる。
 それでも、発した声は途惑いの為かどこかつっかえるようなものだったが。

 沖田総悟。
 年若いながら真選組の隊長を務めるこの男とは、初対面ではない。
 初対面ではない、けれど立ち話をするような間柄でも、決してない。

 色素の薄い髪に、整った顔立ち。
 けれど往々にして何を考えているのか分からない。
 腕は立つけれど、性格に多少難ありの謎な人。
 それが、新八が沖田という人物に対して抱いている印象だ。

 険悪でもないが、親しくもない。
 だから、まさか。
 今この時、この場所で声をかけてこられるとは思わなかった。


「見りゃ分かるだろィ? 善良な市民の為に、見回りでさァ」

「……アンタほどそのセリフが似合わない人も珍しいですね」


 驚きから解放されれば、自分が戻ってくる。
 いつもの調子を取り戻した新八は、呆れたような顔で辛辣な言葉を紡いだ。
 最も、この程度のことで沖田がどうこうするとは微塵も思っていないからこそ言えるのだが。
 案の定、沖田は新八の言葉に口の端を上げてみせただけだった。

 溜め息を吐くように息を吐いて、けれど心のどこかが安堵しているのに気付いた。
 白銀に染まった世界の中で、沖田の着ている真選組の隊服、その黒は否が応でも目に飛び込んでくる。
 まるで白に染まる世界を、思考を壊すかのような勢いで。
 どこかしらに沈みかけていた思考をすくわれたようで、新八は内心でそっと沖田が現れたことに感謝していた。

 あのまま、思考の海に沈んで行ったら。
 今頃どこに行き着いていたのだろう。
 それが知りたいような、知りたくないような。


「今回ばかりは嘘でもねーですぜ。今にも彼岸に向かっちまいそうなツラしてたから、声かけてやったんでさァ」


 これも立派な人助け、などと嘯く沖田に。
 新八はきょとりと目を瞬いた。
 彼岸、その言葉にだ。

 色のない世界。
 ある種、清浄なともとれるような。
 音もなく、色もなく、白に染まった。
 そこに、自分が抱いた感覚は。
 見た世界は。
 きっと。


「……浄土……」


 言葉を返すのも忘れて、呟く。
 思い当たったその言葉を声に出したことすら、無意識だった。
 沖田へ向けていた視線を、すいと川面に向け直す。
 相変わらずちらつく雪は、川に落ちては消えていた。

 呆然としたその呟きを聞きとがめた沖田が、新八の視線を追うように川を見る。
 広がる、白い世界。
 それを見た沖田は、ああ、と一つ頷いた。
 その声に新八は現実に引き戻されたかのように沖田を見やる。
 だが当の沖田は川の向こうに目を向けたままだった。
 新八からは、横顔しか見えない。


「そうかもしれねーですねィ」

「……え?」

「浄土ってーのが、あるんだとしたら。真っ白なのかもしれねーなァ」


 どきりと、した。
 言った沖田の声音が、今まで聞いたことのないような調子だったから。
 その目が、ここではない場所を見据えるように遠くに向けられていたから。
 横顔だけのその表情は、いつもと同じだ。
 何を考えているのかイマイチ分からない、端整な無表情。

 けれど。
 舞い落ちる雪に遮られ、遠くに感じられる。
 消えて、しまいそうな。
 ぞわりと背筋が寒くなって、新八は慌てて沖田に向かって手を伸ばしていた。

 目の前で、誰かが。
 白に染まってしまうのは、見たくない。
 いかないでほしい。
 彼岸になど、目を向けないでください。
 生きて、いるのだから。

 伸ばした手が、沖田の肩にとん、と触れる。
 呼ばれたように、沖田が新八の方へ顔を向けた。
 そこまでしてようやく、新八は己のしたことに気付く。
 触れた手の説明がつかず、けれど今更引っ込めることも出来ずに暫しその体勢のまま。


「……どーかしやしたか?」

「肩に、雪が」

「それぁ、アンタも一緒でしょうに」


 僅かに眉を上げた沖田の手が、ぽんぽんと肩を叩いてきた。
 触れる感触に安堵する。
 ここにいるのだから、と。
 何より雄弁に伝わってくる、熱と感触に。
 新八はそっと笑むと、自分にされているのを真似るように沖田の肩の雪を払った。
 ひらひらと舞う雪の下では、どうやら傘の意味はあまりないらしい。


「いつまでもこんなトコで突っ立ってたんじゃ、雪だるまになっちまいまさァ。どこに行くんでィ?」


 付き合いますぜ、と言う沖田はそのまま新八の返事を待たずに。
 新八の腕を引いて、雪の中を歩き始めた。
 引かれるまま、それを振り払う気も起きずに買い物に行くんです、と告げる。
 その言葉に沖田は使われてんなァ、と返してくる。
 いつもと同じ調子で。
 けれど、腕は掴んだまま離す気配がない。


「沖田さん」

「なんでィ」

「横、歩いてくださいよ。狭いですけど、傘の中入ってください」


 一瞬の沈黙の後、掴まれていた腕が離される。
 その手がひらめき、新八に向けられた。
 首を傾げる新八の前で、沖田の指がひらひらと揺れる。


「入れてもらうからには、持ちやすぜ。傘、寄越しなせェ」

「じゃ、お願いします」

「男二人で相合傘たァ、ちっとばかし淋しい気もしやすがね」

「……そもそも何でアンタは傘も持たずに出歩いてるんですか」

「美少年ってーのは、雨に降られるモンなんでさァ」

「いや、今は雨じゃないしね。しかも朝から降ってたしね。つーかよくもまあ億面もなく自分のこと美少年だとか言えますねアンタ」

「事実だろィ?」


 狭い傘の中、いつも通りの応酬。
 時折触れ合う肩と肩は、その近すぎる距離は普段ではありえないものだけれど。
 それに不快感は、感じなかった。

 ふと、何とはなしに横を見る。
 傘の下、飄々とした様子の沖田は、まったくもっていつも通りだ。
 先に感じた、消えてしまいそうだなんて感覚が幻のように。
 相変わらず何を考えているのか読めない、その顔に。
 何故か安堵を覚える。

 雪は降り続いていたけれど。
 傘の下、すぐ隣りの横顔にぐらいはそれがかかることもなく。
 無性に、嬉しくなった。



 END




 

 


理由もなく不安になるのは、思春期の特権(いや今回は理由あるけどね)です。
感情が伝染するのは、人と人だから。

読みにくい文字・背景色すんまっせん。
銀と白は、雪のイメージなので。


UPDATE 2006/02/25(土)

 

 

 

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