2008/9/4現在本誌連載中話より妄想、ネタバレ含む為注意 美しい名前・アンサー 暗い場所にいた。 一筋どころか一欠片の光もない、真の闇。 己の輪郭ですらぼやけてしまいそうな程の暗闇にいながら、何故か驚くほどに落ち着いていた。 ここはどこだろう、とか。 何故ここにいるのだろう、とか。 そんな考えが頭を過ぎらなかったわけじゃない。 けれど考えが思考として形を為すより早く、心地良いまどろみのような感覚に襲われてしまうのだ。 ゆるゆると眠りの淵を漂っているようなそれは、ただ単純に気持ちよくて。 何も考えられず、考える事を放棄させられ、ああもうどうでもいいか眠たいし、と訪れる心地良さに身を任せようとした、瞬間だった。 ぐ、と強い力で手を握られた。 自身の形ですら曖昧になっていたはずなのに、手を握られた、それがどうしてかハッキリと分かった。 誰かも分からない、なのにその手に酷く安堵した。 触れる手から伝わってくるのは、新八を思いやる心だ。 そっと包み込み、ただただ傍に在ろうとしてくれるのが分かる。 暖かい。離したくない。 ずっと手を握って、傍にいて欲しい。 まるで幼子のようにそう思う。 伝えたいのに声が出なくて、代わりに手を握り返そうとした。 けれど、力が入らない。 手を握られることでようやく自身の形を思い出し取り戻したのに、腕も脚もまるで自分のものではないかのように動かせなかった。 瞼を持ち上げることすら、出来ない。 悔しくて、情けなくて、今にもこの手が消えてしまいそうで不安になる。 握り返したい。この手がどこにも行かないように。 懸命に思うけれど、ようやく動かせたのは指先だけだった。 ほんの微かに、相手の手をなぞって。 これじゃ、伝わらない。そう思うと無性に哀しくなった。 行かないで。 口は動かなかったので、胸の内でそう叫んだ。 迷子の子供のように、一人になるのがただ怖かった。 手を握られる前まではあんなにも心地良かった闇が、今は恐ろしくてたまらない。 ここに独りで残される事になど、耐えられそうもなかった。 願いが通じたのか、それとも偶々か、触れる手は離れていかなかった。 どうしてだろう。 手を握られているだけなのに、こんなに安心するなんて。 まるで、抱きしめられているような気分になるなんて。 僕、どうかしちゃったんだろうか。 「……、って……」 音がした。 最初にそう思い、ややあってそれが声なのだと気付いた。 手を握る人が、何か言ったのだ。 けれど声は不明瞭で、まるで水の膜の向こうから発せられているかのように聞き取りにくいものだった。 聞こえない。何を言っているのか、分からない。 聞きたいのに。 待って、ください。行かないでください。 もう少しだけ、お願いだから。 ここがこんなに暗いから、聞き取れないのだろうか。 どうすればいいかも分からないのに、暗闇を振り払おうとする。 腕を、脚を、首を振り、まるで溺れている人がもがいているように。 動かしているつもりで、けれどどこもかしこも思い通りには動いてくれなかった。 それでも、足掻く。諦めが悪いのなんて、今に始まったことじゃない。 「……、目、……覚ま……ェ」 起きたい。 呼ぶ声に、こたえたい。 必死になっているうちに、体の感覚が少しずつ戻ってくるのが分かった。 それと同時に、あちこちが重くなる。軋むように、痛みを感じる。 意思に従わなかったのはその所為かと悟った。 どうやら神経は通っているようだが、それは同時に痛みをも感じるという事だ。 痛い、痛い、だけど。 「し……ち」 呼んでいる。 繰り返し繰り返し、祈るように、謳うように。 その声が誰のものか、分かりすぎる程に分かっていた。 どうしてここに、いるんですか。 「しんぱち」 その声で名前を呼ばれるのが好きだと思った。 涼やかな響きで呼ばれる音は、まるで己の名前ではないようで。 他の誰とも違うその声が、特別だった。今でも、それは変わらずに。 「新八」 強い力で握られている手が、いとしい。 鼓動すら聞こえてきそうな気がする。 決して離さないのだと言いたげな強さで握っているくせして、ひどく安心させられるような暖かさと優しさがある。 それが沖田の矛盾した性格そのままを示しているようで、少しおかしかった。 「新八」 どうして、そんな声なんですか。 ダメですよ、僕ごときに感情を見透かされているようじゃ。 どこから来るのか分からない自信で、飄々としていてくださいよ。 ああ、でも、こんな事考えるなんていけないって知ってるけど。僕を思って、そんな声で名前を呼ばれるのが、嬉しい、と感じているのも本当なんだ。 「新八」 「……い」 はい、と答えたつもりの声は掠れていて聞けたものじゃなかった。 握られていた手が、びくりと震えた。 離されるかと思ったが、意外なことに沖田はそのまま手を握り続けている。 瞼を上げると、飛び込んできた白に目の奥がちりりと痛んだ。目を細めて暫く待つと、段々と視界が明瞭になってくる。 白の中、異質だった色。そこにはやはり、沖田が居て。 眉が下がっている。初めて見る顔だった。 そんな顔をさせたのが自分だと思うと、申し訳なくなる。 「おはよう、ざいます」 今度の言葉は、先よりも幾らかマシなものだった。 言ってから口の周りに違和感を覚える。沖田に握られていない方の手で触れれば、酸素マスクが口元に当てられていた。 邪魔だな、と思いそのままずらした。 見ていた沖田が、慌てたように腰を浮かす。 「おきたさん」 「……おう」 「呼んでくれて、ありがとう」 素直な気持ちだった。それしか言いようがなかった。 目覚めたことで、体のあちこちに走る痛みはごまかしようもなく新八の意識を苛んでいたけれど。 何とかかんとか笑顔が作れた。自分の顔は鏡で見られないから、そう思う、としか言えないが。 新八の言葉に、沖田がふる、と一度首を振った。 何だか子供みたいだなあ。まあ元々、子供っぽいところはあったけどこの人。 考えてから、未だに沖田が新八の手を握ったままだったことに気付く。 この手に呼ばれた。闇の中から、救われた。 そう思うとどうしようもなく胸の内が暖かくなった。 指を動かし、握り返してみる。 すると何故か、沖田がぴたりと動きを止め、固まってしまった。 「あの……?」 どうにも、沖田の様子がおかしい。 やたら素直だったり、子供っぽかったり。 今だってそうだ。金縛り状態は一瞬で解けたけれど、真剣な顔で何か言いたげにしている。 その目が、新八の顔と握られたままの手とを行ったり来たりして。 何往復かした後、目が合った。 引き結ばれた唇と、まっすぐな目。緊張しているのだと、一目で知れた。 ぴんと張り詰めた空気に、思わず息を呑んだ。 「新八、俺は」 END |
アンサーソングって流行ってるじゃない、みたいな。……みたいな。 沖新はやっぱりそれぞれの視点で思いつくです。 UPDATE/2008.09.04(木) |