2008/9/2現在本誌連載中話より妄想、ネタバレ含む為注意









   美しい名前



 病院はキライだ。
 無機質そうな壁も、冷たそうな床も、白いベッドも。
 白で染められ覆いつくされた世界は、奪っていくからだ。
 何食わぬ顔をして、ゆるりと。
 大切なものを、この手から。
 脳裏を過ぎるのは、大切だった人の白い顔。細い腕。
 弱々しく、けれど綺麗だった、その笑顔。


 面会時間などとうに過ぎ去った病院の廊下は薄暗く、ひどく静かだった。
 面会時間は終わっているのに何故沖田が悠々と歩いていられるのかと言えば、単に国家権力を使ってごり押ししたからである。
 靴音がやけに日響く。
 目的の部屋に辿りつき、ノックもせずにドアを開ける。
 どうせ折り目正しくノックをした所で、中からの返事がないのは分かりきっていたからだ。
 病室は、個室。
 中央に置かれたベッドで眠っているのは。

「よォ、来てやったぜィ」

 志村新八、その人だった。
 詳しい話を沖田は知らないが、またも万事屋の依頼で面倒事に巻き込まれてきたらしい。
 万事屋の面子三人共が病院に担ぎ込まれたと聞いていた。
 三人が三人ともに軽くはない傷を負っていたらしいが、神楽は夜兎族故に傷の治りが早く、銀時も銀時で常人からすると回復が早い方だ。
 勿論二人とも完治はしていないが、未だ目覚めていない新八からすると大分快方に向かっていると言える。

 新八はと言えば、病院に運ばれてからずっと眠り続けていた。眠っている、というよりも意識を取り戻さない、というべきか。
 一番酷いのは肋骨の骨折、それに伴う内蔵の損傷だ。他にもあちこちに裂傷や打撲があり、新八の体は包帯や絆創膏で白に染め上げられていた。
 口につけられた酸素マスクや、腕に繋がれた点滴の管がなければ、ただ少し眠っているかのような穏やかな表情なのに。
 いっその事大声で泣き喚きたい気分だった。
 そうすれば少しは、このどうしようもないもやもやとした気持ちもマシになったかもしれないのに。
 けれど涙の欠片も出る気配はなく、代わりとばかりに唇を噛んだ。

「なァ、まだ寝る気かィ」

 呟き、新八の手に触れる。触れた手は、沖田のそれより少しばかり低かった。
 それがまるで、失われていく前触れのようで思わず眉を寄せた。
 怪我は酷いけれど、命に別状はないと。
 ただ深く寝入っているだけで、そう遠くないうちに目を覚ますだろうと、そう聞いたはずなのに。

「俺を起こす奴が寝てばっかじゃ、おちおち寝てもいられねェじゃねェか」

 唇を尖らせ、拗ねたように言う。
 新八なら、この言葉にどう返しただろう。
 僕は目覚ましじゃありません、か。
 しっかりしてくださいよ公務員、か。
 考えるけれど、どれもありそうで、なさそうな気がした。
 新八の返す言葉など、結局新八ではない沖田には分からないのだ。想像することしか出来ない。
 それなのに、返される言葉を知りたいと思った。呆れたようにか、怒ったようにか。
 知りたいのに、新八は変わらず眠ったままだ。
 穏やかな寝顔に、いっそ張り飛ばせば起きるだろうかなどと物騒なことを考える。

「……新八」

 ぽつり、読んだ声音は自分でも驚くような寂しそうな、擦れかけた声で。
 自身の鼓膜を揺らした、ぞっとするほどに虚しい響きに慌てて首を振った。
 失われていく、わけじゃない。
 こんな声は、この場に相応しくない。
 ただ少し、弱気になっているだけだ。
 この白いばかりの場所は、自分にとってどうしても哀しい記憶を呼び起こさせるから。
 思い出さないようにしても、あの時とは違うのだと言い聞かせても、脳裏に過ぎる光景は消えてくれない。
 それは沖田の心の弱い部分に容赦なく爪を立て、引っ掻く。
 痛みに呻きたいのに、それも出来ない。
 頭を抱えても、どうしたんですか、と問うてくれる声が、ない。

 知っていた。新八の目が、時折苦しいほどの熱と切なさを孕んで己を見つめていることを。
 けれど、気づかないフリをしていた。
 色恋沙汰なんてよく分からなくて、面倒で、何より変わってしまう事が怖かった。
 同じ年頃の「友人」と呼べるような存在など、今までいたことがなくて。警戒も計算もいらず、ただ単純に話したり笑ったり、どこにでもいる十代のように過ごせることが珍しくて、手放したくなかった。
 ……なんて、きっとただの言い訳に過ぎない。
 変わりたくない、傍にいたい、そう思うほどに心が新八に向けられていた事に、本当はどこかで気づいていたのに。
 目を逸らし続けていた事への、これが罰なのだろうか。

「俺の手は、何も、できねェ、なァ」

 涙の代わりに、言葉を零す。
 簡単には斬られない程に強くなった。それなのに、何故こんなにもこの両手は無力なのだろう。
 たった一人の為にすら、この手は何の役にも立たない。使えないなら、いらないのに。
 考えながら、両手で新八の手を包み込むように、握った。
 こんな事しか出来ない自分にうんざりしながら、ただ新八の手を温めるようにぎゅうと握った。

「しん、ぱち?」

 途切れがちに名前を呼んだのは、握った手、その指が僅かに動いたからだ。
 微かだが、確かにその指先が沖田の手をなぞった。
 思わず新八の顔を覗き込むが、期待したようにその瞼が持ち上がることはなかった。
 一度だけ動いた指もまた、まるで淡雪だったかの如く何の反応も見せない。
 けれど、あれは都合のいい勘違いなどではなかった。小さな小さな声での囁きのような、ともすれば見逃しそうなサイン。

 静か過ぎる部屋は、苦しい思い出も運んでくるけれど。
 今はそれ以上に、握った手のぬくもりが大切なのだ。
 なくしたくない。見失いたくない。
 そのためには、この静けさは逆にありがたかった。
 どんな小さな声も、聞き逃さずにいられそうだから。

「全部、拾ってやらァ」

 この手を握り返してくれるなら、ずっと握っている。
 名前を呼ぶ声を聞いてくれるなら、ずっと呼び続けてやる。
 いつまでも、何度だって。
 だから。

「新八、目、覚ましなせェ」

 目覚めたなら、言いたい事がある。
 伝えなければいけない事が。
 名前を呼びながら、気付く。何気なく呼んでいたその名が、いつの間にか当たり前に口に馴染んでいた。
 だけど、まだ、足りない。呼んだら振り向いて欲しい。返事が聞きたい。
 離れたくないのだと、言葉にする代わりに手を握る。
 触れる指に、呼ぶ声に、どうか気付いて、と。祈りをこめて。

「……新八」



END

 

 

本誌で完結する前にーィ。間に、合った…!
相手夜兎だったしねぇ。怪我してるよねぇ、っていう妄想から沖新へバトンを繋ぎました…!(笑顔)
バックホーンの同タイトルの曲をイメージさせて頂きつつ。
この曲好きなんだ…! いつか書きたかったんだ…!

UPDATE/2008.09.02(火)

 

 

 

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