さあ、逃げなくちゃ。





  
 真夜中の逃避行は手をつないで






「沖田さん、沖田さん」


 肩を揺すられる。
 同時に、名前を呼ばれた。
 聞いたことのある声。
 というより、最近ではすっかり耳馴染みになってしまった、その声。
 微かに幼さを残すような、それでも凛とした少年の。


「新八、か……?」


 確認するような語調になってしまったのは、寝起きで意識が曖昧だったから、だけが理由ではない。
 眠っているのを起こされた、という事はここは屯所の沖田の部屋の筈。

 万事屋という胡散臭い場所を職場にしている所為もあってか、新八が真選組と関わる回数は一般の人間よりかは多い。
 加えて近藤が新八の姉、妙に付きまとっていたりもするから、それ絡みで真選組が出向かされることだってある。(主に近藤の回収作業に)
 けれど。
 だからと言って個人の部屋にまで踏み込めるかと言えば、それはない。

 真選組抜きで、ただ個人の人間としてならば。
 沖田と新八の間には世間一般で言う所の「恋人同士」という肩書きが当て嵌まったりもするのだけれど。
 一部人間を除いてその関係は明るみにされてはいない為、それは新八が屯所の奥まで通される理由にはならない。


「起きてくださいよ、沖田さん」

「お前ェ、何でここに……?」

「寝てないで、起きてくださいって」


 焦れた声に、欠伸をしながら体を起こした。
 やたらに眠い。
 今日も仕事の合間に暇を見つけては寝ていたというのに。

 くっつきたがる瞼をようやく引き離し目を開ければ、沖田を覗き込んでいるのはやはり新八で。
 正確な時間は分からないが、おそらく真夜中だろうというのに新八は寝ぼけた様子もなく、いつも通りのまっすぐな眼差しを向けてきていた。
 紺の袴に、最早トレードマークを通り越してアイデンティティと化しつつある眼鏡も、何もかもがいつもの新八だ。
 だからこそ、彼がここにいるのはおかしい。


「んん……?」

「ああもう、寝ぼけてますね? いいから、早く着替えてください」

「着替え?」


 布団の上に投げられたのは、いつも着ている隊服のズボンと、シャツだった。
 何故を問う前に、新八は部屋の中を慌しげに走り回っていて。
 寝起きのせいか上手く働かない頭のまま、まあとりあえず言う通りにしておくか、とのろのろと布団から出て着替え出した。

 ズボンを履いて、シャツに腕を通してボタンを留めていく。
 何でもないはずの動作が、眠気のせいかひどく億劫でたまらない。
 ボタンを半分ほど留め終わった所で、新八が沖田の前へ戻ってきた。
 その腕には、どこから探し出してきたのか隊服のベストに上着、スカーフが抱えられている。


「上着、ありましたよ……ってまだ着れてないんですか」

「なあ、何でここにいるんでィ?」

「やだなあ沖田さん。ここは夢の中ですよ? 当然でしょう」


 夢の中。
 さらりと、新八は言った。
 地球は丸いんですよ当たり前じゃないですか、とでも言いたげな口調で。
 さしもの沖田も言葉が探せず、黙り込んでしまう。
 そうしてから、気付いた。
 今立っている部屋の様子に。

 壁に貼ってある見慣れた暦(一月で止まっている)の横に、某アイドルのきらきらしいポスターがある。
 殆ど使ったことのない文机の横に、裁縫道具が転がっている。
 襖が、1枚は屯所のそれだがもう1枚は志村家で見たものに変わっている。


「……混ざってやがる……」


 夢、というのはどうやら真実らしい。
 だからこそ、新八が今目の前にいるのか。
 そんなことを考えていると、手元が止まっていたらしい。
 焦れた新八がまったくもう、などと言いながら残りのボタンを留め出した。


「しっかりしてくださいよ。隊長なんでしょう?」

「あー、そのうち副長になる予定だけどなァ」

「それじゃ尚更です」


 他人のボタンは留めにくいのか、少し首を傾けながら。
 覗く首筋や項を眺めながら、こういうのもいいかもなァ、なんて考えてみる。
 何というかこう、出勤前の旦那を見送る女房というか。
 思っていることをそのまま告げたら、照れるだろうか怒るだろうか。

 そうこうしているうちにボタンを留め終わった新八に、ベストを着せられ上着を羽織らされた。
 すっかりいつもの隊服姿になったところで、新八が満足そうによし、と笑った。


「じゃ、逃げましょうか」

「は?」

「逃げるんですよ。ホラ沖田さん、早く」

「逃げるって……誰からでィ?」

「分かりません。でも追われてるからには逃げるのがセオリーでしょう?」


 至極当然のことを言うような口調で、新八は逃げると口にした。
 めまぐるしい展開に着いていくだけでも精一杯だ。
 常ならば己のペースに他人を巻き込むのが自分のやり方だというのに。
 今は完全に、新八のペースだ。
 巻き込まれているのを自覚し、若干混乱しながらも。
 けれど何故だか、悪い気はしなかった。
 それは、多分。


「沖田さん、早く」


 自分に向かってまっすぐに差し出される手が、笑顔が、あるからだろう。
 だが、ただ流されるだけでは終わらない。
 例えそれが夢の中でも。


「逃げるってーのは、俺の流儀に反するんだがねィ」

「……イヤですか?」


 沖田の言葉を聞いた新八が、困ったような顔になる。
 伸ばされた手に、自分の手を重ねながら沖田はにやりと笑った。
 重ねた手を強く握り、力任せに自分の方へと引いた。
 突然のことに反応しきれなかった新八が、短く悲鳴を上げてよろめく。
 その肩が、沖田の肩にぶつかった。


「これが逃亡じゃなくて駆け落ちだっつーんなら、乗ってやるぜィ?」


 真夜中に手と手を繋いで、なんて。
 おあつらえむきのシチュエーションじゃないか。
 笑みを浮かべながらも新八を逃がす気などさらさらない。
 掴んだ手に力を込めて、絡んだままの視線は逸らさずに。


「さ、どーすんだ?」


 答えは。












「……夢オチたァ、芸がねーなァ」


 見慣れた屯所の薄汚れた天井を見上げながら、沖田はそう一人ごちた。
 新八が逃げようと誘いにくる、夢。
 別に今の状況に不満があるわけでもないのだが。
 何故、あんな夢を見たのだろうか。

 かしかしと頭を掻きながら体を起こした。
 掴んだ手の感触が、体温がまだ残っているような気がする。
 夢だと分かっているのなら、有無を言わさず浚ってしまえば良かったのに。
 それなのに何故か、そうしなかった。
 我の強さは己でも自覚しているものだというのに。
 新八の意思を尊重するような言葉が、無意識に口をついていた。


「あーあ、やられてんなァ」


 大事にしたい、なんて。
 そんなもの自分のカラーではないと思うのに。
 己の意思を心が裏切る。
 歓迎すべき事態ではないと分かっていながら、それも悪くないとまで考えてしまう自分がいる。
 苦笑し、沖田はぱたりと体を倒した。


「ま、責任はとってもらいやしょうかねィ」


 骨抜きにした代償は、新八自身で払ってもらおうではないか。
 有無は言わさず、否も赦さず。

 ゆるゆると眠気が訪れるのに任せて瞳を閉じる。
 このまま眠れば、先の夢の続きが見られるのではないかと思う。
 もし、見られたなら。


「次は浚ってやらァ」





END


 

 

元ネタは谷山浩子の「パジャマの樹」という歌です。
かわいー歌なんですよー。
甲斐甲斐しく世話を焼く新八が書きたくて書いた話。
世話焼きなのはぱっつぁんの味でしょ♪


UPDATE 2007/1/16

 

 

 

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