Good Bad Luck



 新八はこれまで生きてきた十数年の中で、運が悪いと思ったことは殆どない。
 父が亡くなった時も、借金取りに家に押しかけられ殴られた時も、運の所為にはしなかった。
 正確には運がどうなどと考えている余裕がなかったのもあるのだが。切迫している時に運を恨むなど時間の無駄遣い極まりない。
 だからその時、自分の運を呪ってしまったのはとても久しぶりの事だった。
 万事屋から自宅へ帰る道中の事だ。雨がパラついてきて、一刻も早く帰ろうといつもは通らない路地を選んだ。
 それがまさか、こんな出会いをもたらすとは、思いもせずに。

「うんうん、やっぱり美味しいものは地元の人に聞いてみるのが一番だ」
「そうですか。舌に合ったのなら良かったです」
「地球の人は力がない分繊細なのかもね。細工事とかさ」
「そうかもしれませんね」

 会話だけ見ればどうという事もないものだ。
 片方のそれが哀しいほどに平坦である事を除けば、だが。
 平坦なのは勿論、新八である。その表情もまた声と同じく愛想の欠片もないものだった。
 無表情、というよりかは呆れというか諦めというか引き攣っているというか。
 だが会話の相手は新八の様子を気に留める事なく話しかけている。実ににこやかに。

「おかわりもらおうかなー。すいませーん」
「あの、まだ食べるんですか……神威、さん」

 名前を呼ぶのについ声に緊張が混じるのは仕方ないことだと思う。
 神威もそれは分かっているのか単に気にしていないだけか、いちいちそれに反応は見せない。
 別に食べるのは自由だがそろそろ帰らせて欲しい。そんなニュアンスを込めて呼んだ。……その、筈だったのだが。
 呼ばれた神威は、にっこり笑って頷いた、だけだった。

「勿論。美味しいものはどれだけでも食べられるよねー。君も食べれば? 遠慮はいらないからさ」
「……充分頂きましたけど」
「あれだけで? 地球人は小食だなぁ。だから非力なんじゃないの?」

 そちらはエンゲル係数凄そうですけどね、という言葉は呑み込んだ。
 おそらく神威は嫌味を言っているつもりもないだろうと思ったからだ。
 何より今でこそへらへらしているが、どこに地雷があるのか分からない相手に下手な事を言うべきじゃないと判断したのだ。大人しくしておくのが懸命だ、と。
 何せ相手は夜兎族、それも神楽の兄で星海坊主の息子であるという。
 彼がどれだけの強さであるかは知らないが、普通に考えて自分の適う相手ではないだろう。

 ……まあ僕より弱い人ってそうそういないんだけどさ。化け物じみた人ばっかで嫌になるよなぁ……
 どいつもこいつも今に見てろよチクショー。成長期なめんなコノヤロー。
 と、そこまで考えて虚しくなってきて、やめた。
 今は目の前の現実に立ち向かわなければ。
 どれだけ逃避しようと、眼前にいるのが神威であるという事実は変わってくれないのだから。

 そもそも何故一緒に食事、という特異すぎる事態に陥っているのかというと。
 道端で会ったのだ。
 新八にしてみれば嬉しくない偶然としか言いようがないのだが、それが唯一の事実なのだから仕方ない。
 改めて字面にしてみると地味で平凡でありきたりな理由過ぎて泣けてきそうなのだが、嘘のような本当の話だ。
 颯爽と去っていったんじゃなかったのか何やってんだアンタ、と突っ込みたかったが出来なかった。
 新八が口を開くより早く、神威が声を発したからだ。
 曰く「お腹空いてるんだけど、ご飯美味しい店知らない?」と。
 言葉だけ拾ってみるとどこのナンパだよ、とでも思えるようなそれに思わず言葉をなくした新八に、非はないだろう。

 とは言え滅多な事では外食などしない新八の知識といえばファミレスや定食屋ぐらいしかない。
 迷った挙句案内したのは定食屋だったのだが、幸いな事に神威の口には合う味だったらしい。
 これでもし口に合わなかったらどうなっていたのだろうと考え、あまり面白い展開にはならなかったのですぐに考える事を放棄した。
 神楽の食べっぷりを知っているからある程度予想はしていたのだが、神威もまた食欲旺盛な性質らしかった。
 目の前で次々に食べ物が消化されていく様はある種清々しいもので。
 要約するのなら見ているだけでお腹イッパイ、ということになるのだが。
 だが先にも新八自身が言ったが、一応はご相伴に預かっているのだ。神威は少ないと言ったがちゃんと一人分は食べたしデザートまでたいらげたのだから標準だろう。
 ……それもあくまで地球人の感覚からすれば、という事になるのだが。

「今更なんですけど、何故僕まで一緒になって食べてるんでしょうか」
「俺が引っ張り込んだから」
「……その理由を聞いてるんですけど」
「案内してもらったから、そのお礼かな」

 神威の表情は相変わらずにこやかだ。
 一見すると好青年に見えるそれが、新八には仮面にしか見えなかった。
 何を考えて何を思ってどんな感情を抱いているのか、読めない、分からない。
 生きていれば、多少なりと外面を取り繕う場面があるのは分かる。
 けれど神威のそれは取り繕うなんてレベルではない気がした。
 ……お面をした人と話してる、みたいな。
 決して進んで関わり合いたくない人物である事は間違いないのに、そんな風に感じる自分がいたりもする。

「そんな緊張しなくてもさぁ、何もしやしないって」
「見ず知らずの人に着いてきちゃってる自分に呆れてるだけですから、お気になさらず」
「ええ? 見ず知らずじゃないよ。名乗ったし」

 そういう問題じゃねぇんだよ、と盛大に突っ込みたかったが我慢する。それに、何となく。
 神威は新八の言っている事を分かった上でわざとはぐらかしているような、そんな気がしたのだ。
 底どころか本音の欠片も見えない人との会話は、ひどく疲れる。
 息が詰まるような、ぴんと張った糸の片端を持たされているような。
 とにかく居心地が悪い。
 それでいて神威は外見だけは好青年だったりするから始末が悪い。
 そう、先程神威が言った通り何もされてはいないのだ。何か仕掛けてくるわけでも、聞き出そうとしてくるわけでもない。
 ただ猛然と料理を食べているだけ、なのだ。
 新八がひたすらに居心地の悪さを覚えているだけで。

「心配しなくても、君とケンカする気はないって」

 ……多分、その言葉に嘘はない。
 神威と新八の実力差は明らかで、比べるべくもない。
 分かりきった事実、けれど。
 自身の無力さを改めて痛感させられたばかりの新八にとって、その一言は何事もなく飲み下すには痛く重く苦かった。
 普段の新八なら、もしくは吉原での騒動が起こる前なら、これだけの言葉に反応したりしなかっただろう。
 だが、今は。

「あれ、どしたの?」

 突然席を立った新八を、神威が不思議そうに見やりながら首を傾げた。
 相変わらずにこやかに笑ったまま。
 ムカつく、この人。
 立ち上がったその瞬間に思ったのは、それだった。
 新八にしては珍しく不快感を露にした感情。
 感情のままに眉間に寄った皺に気付くことがない程、苛立っていた。

「興味ない人とご飯食べても美味しくないでしょうから、帰ります。ごちそうさまでした」

 怒鳴りつけなかったのは、幾許かの理性が残っていたからだ。
 それでも抑え切れなかった苛立ちが新八をひどく早口にしたが。
 言うだけ言って出口へ向かおうと神威の横を通り過ぎようとした、その時だ。

「っ……」
「どこ行くの?」

 腕を掴まれ動きを止めた。
 肘と手首の間辺りを、神威の手がしっかりと掴んでいた。
 これを見越して出口側に座ったのだとも思えないのに、神威の手はがっちりと新八の腕を捕まえていた。
 振り払おうとするが腕がびくとも動かない。
 そう力を込めているようにも見えないし、神威は相変わらず涼しい顔をしている。あまつさえ開いた手で料理を口に運んでいたりする。
 指を一本ずつ引き剥がしてやろうか、と半ば本気で考え出した時、掴まれた場所が軋むように痛みを訴えた。
 神威の指に力が込められたのだ。

「い……ッ!」
「ひどいなぁ。見知らぬ異国に訪れて不安なんだから、一人放っていくなんてしないでよ」

 何が異国だ、何が不安だ、寝言は寝てから、むしろその分厚い面の皮剥いでから言えっつの!
 数々の罵詈雑言が脳裏を過ぎるが、口にされる事はなかった。
 腕を掴む神威の手から力が抜ける事はなく口を開けば痛みに呻いてしまいそうだったのだ。
 くだらない矜持だと嘲笑われようと、それがどうしても厭だった。

「一人で食べるなんて寂しいしさ。いてよ」

 言葉と共に、一層力が強くなる。
 掴んでいる、なんて生易しい表現では足りない程の力だった。
 腕の骨を砕くのが目的だとでも言わんばかりの力。
 最早痛みを通り越してびりびりと痺れるような。
 このまま折られたら何て言おうかな、とどこか他人事のように考えていると、突然手が放された。

「意外と強情なんだ?」
「……不器用なだけですよ」

 掴まれた場所を手で押さえながら、小さく肩を竦めた。
 手は離れても痛みがすぐに引くわけではない。痺れるような感覚を訴える腕を軽くさすった。
 折られはしなかったが、痣にはなるだろう。
 掴まれた場所が手首じゃなかったのは幸いだった。指の形をした痣、なんてとてもじゃないが人に見られたくはない。
 何があったのか聞かれても答えられないだろうから。

「思ってたよりも面白かったよ」

 言った神威がひらりと手を振り、ようやく解放されたのだと知る。
 結局何が目的だったのか分からないままだったが、それを問い質す気もなかった。
 とにかく一刻も早くこの場から立ち去りたい。

「……失礼します」
「うん。またね」
「次なんてありませんよ」

 というか、あってもらっては困る。
 心臓に悪すぎる邂逅なんて、一度たりとて望んでいない。
 そもそも今日の出会いとて偶然で、一つ何かがずれていればすれ違ったりもしなかったはずなのだ。
 新八としてはその方が良かったのに。
 不快さを隠そうともしない新八に、神威は相変わらずの笑顔を向ける。

「明日のことなんて、誰にも分からないだろ?」
「……じゃあ、さよなら」

 神威の言葉は一理あるものだった。だからこそ、別れの言葉を選んだ。
 別離の言葉に込められたのは、この場から立ち去る事に関してだけではない。
 次を望んではいないのだ、と。自分にも相手にも伝わるように。
 立ち去りながらだったから、新八の言葉に神威がどんな表情をしたのかは見えなかった。
 それでも、あの仮面のような笑顔はそのままなのだろうな、と歩きながら思った。

「……雨、上がってるし」

 店の外に出ると、雨は降っていなかった。通り雨だったのだろう。
 おそらくは、今までの出来事も。
 過ぎてしまえばそれだけのこと。
 決して歓迎は出来ないけれど、流す事はしてもいい、と。
 星が瞬き始めた空を見ながら、そう思った。




END


 

 

新ちゃん蚊帳の外はイヤー!!
ってわけでお兄ちゃんとの接点を無理矢理捏造してみましたさ。


UPDATE/2008.11.23(日)

 

 

        閉じる