枯れゆくあかは寂しい色をしている



 その、毒々しい色や纏わる逸話を知ってはいても。それでもやはり、美しい花だと。そう、思う。
 彼岸花。
 異称は死人花、曼珠沙華、捨子花、天蓋花などなど。そもそもの彼岸花、でさえ決していい印象ではないのに、別称は更にその上を行く。
 呼ばれる名の、どれもこれもが死だったり天上だったり。それは彼岸花が有毒だというせいもあるのだろうが、何よりもその美しさこそが招いた名であるのだろう。
 否応にも人目を引く形状の花は、その緋とも相俟ってぞくりと鳥肌が立つほどに印象深い。
 この世のものとは思えないような、なんて表現は褒め言葉として珍しいものではないだろう。それが行き過ぎた上での名称が、彼岸花の名付けの理由なのではなかろうかと常々思っていた。

 他のどんな花にも似ない形。毒々しくも、人目を引いてやまない色。
 それは、多分あの人と同じ。
 決して取っ付きやすい性格でも容姿でもないだろうに、それでも着いていく人がいるのは。あの人の放つ強烈な存在感に、その毒気に充てられているからなのではないか。
 毒のある花。この緋の向こうに彼が立っていても、きっと何の違和感もない。

 けれど。  鮮やかな緋であればあるほど、枯れる時の姿は侘しいものなのだ。
 色がくすみ、萎み、それまでの毒々しさが嘘のように花を散らす。
 枯れゆく花の姿は、どこか寂しそうにも見えて。

 この花は標だ。
 ふと、そんな事を思う。
 夜の闇に浮かぶように咲く姿は、美しくもどこか物悲しい。誘うような美しさは、きっと彼岸への標なのだ。
 辿った先に在るのは、きっと。

 そこまで考えて、首を振る。
 どんなに誘われても、寂しそうでも。
 その手を取るわけには、いかない。
 捨てられない、譲れないものが、あるから。
 だからせめて、呟くのは。

「……枯れないでくださいよ」

 祈りにも似た、そんな言葉。




END


 

 



毒々しい花。だけど、好き。異称が多いのは、それだけ目を引くからだと思うのさ。
そしてまたマイナーな代物に手を出している自分。
写真、綺麗に出てるといんだけど。


2007/10/09ブログ小話
(UPDATE・07/12/10コメントそのまま)
ちなみに写真は金沢の携帯写メです。近場に群生してるのですよー。


 

 

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