ゆらゆら、ふわり。








 髪を伸ばしたのに、意味はナイのよ。



 何となくその方が、しっくりくるかなと思っただけで。



 三つ編みにしたのは、邪魔にならないようにしただけで。



 ゆらゆら揺れる髪って、やっぱり目がいくものでしょ?



 ……理由なんて、多分、それぐらい。












「明美ちゃん」


「なあに? 凪ちゃん」


 このやり取りが慣れてしまったのは、いつからだっただろうか。
 頻繁に、とは行かないまでも。
 天国が明美に扮して部活後のマネージャー業を手伝う光景は、珍しくもなかった。



 ただでさえ慣れない部活に、疲労感は拭えない。
 けれど、マネージャーの仕事を手伝ってみて、影から支えるというのも骨の折れる仕事なのだと実感した。
 選手とは違って、表に出られるわけではない。
 見返りも期待できない、無償の行為だ。
 それを手伝ってみて初めて、マネージャーの偉大さが身に染みた。


 自分は素人だ。
 マネージャー業にまで手が出せるほど余裕があるわけでは、決してない。
 それでも手伝いたいと思ったのは、最初こそ凪が居たからだったのだけれど。
 けれど何度か手伝ううちに、その仕事のキツさに自分に少しでも何か出来ることがあれば、と思うようになったのだ。
 今では部員もマネージャーもそれに慣れてしまい、同じくマネージャー業をこなす女生徒からも普通に明美呼ばわりされるまでになってしまった。(もっとも凪だけは未だに気付いていないらしいのだが)


 そんなこんなで、今日も天国…もとい明美はマネージャーに紛れて仕事を手伝っている。







「明美ー」
「はいはーい★」


 呼び声に答えるのは、どう贔屓目に見ても男の声(かろうじて声変わり前だ)にしか聞こえない…のだが。既にそれに対してツッコむ声はない。

「もみじちゃん、呼んだ?」

「おお、このタオルさ、棚に戻しておいてくんねー?」

「勿論オッケーよ」

「頼んだなー」

 示されたタオルの山は、なかなかに量がある。
 これを洗濯したり乾かしたりを毎日やっているマネージャーには、本当に頭が下がる思いだ。


 皆もっと感謝しなきゃ駄目だよなー。
 これってば愛がなきゃできねって、うん。
 そんなことを内心で考えながら、タオルの山をきっちり揃え直す。
 途中で山が崩れたりしたら大惨事になるからだ。


 揃えたそれをよいしょ、と落とさないように抱え、部室に向かって歩を進める。
 量があるせいで前が見にくいので、地味ながらも気を遣う。
 触れるタオル地の感触は、心地よかった。
 ふわふわのそれは、部活中に何気なく使っている時にはなかなか気付かなかったが、いつでも太陽の暖かな匂いがする。
 そんなことに気付けたのも、明美に扮してマネージャー業を手伝いだしてからだった。



「ふわふわだー♪」

 抱えたそれに嬉しげに頬を寄せつつ、思わずそんなことを口に出してしまう。
 鼻腔をくすぐるなんとも言えない暖かな匂いに、思わず笑顔になった。
 これが知れただけでも、マネージャーの仕事を手伝って良かったと思う。






「って、ドア閉まってるし!」

 部室前に辿り着いた天国が、思わず明美口調も忘れて言ってしまったのは。
 いつもは開いているはずの部室のドアが閉まっていたから、だった。
 部室のドアは、着替え以外の時は大体開け放たれたままになっているのが常なのだ。(勿論部活の時間以外はきっちりと鍵を閉めているが)
 それは出入りが多いから、いちいち開け閉めしていたのでは効率が悪い、というちゃんとした理由があるからで。
 手を離すと勝手に閉まってしまうドアを押さえるためのレンガもちゃんと用意してあったりする。



 何がどうなってんだ、とよくよく見てみれば、ドア押さえ用のレンガがいつもとは外れた位置に転がっていた。

「誰かつまずいたんか……?」

 おそらく、そんな所だろうと思う。
 地面には、レンガが擦って出来たのだろう跡が残っていた。
 誰だか知んねーけど、足、怪我してなきゃいーけど。
 そんな心配をしつつ、足でずりずりレンガを移動させる。



 置いてあったであろう位置まで移動させ終えてから息をつき。




「……ってコレじゃ何も解決してねーじゃんよ」

 ドアを開けなければ意味がないのだ。
 辺りを見回したが、あいにくタオルを置けそうな物はない。
 洗ったばかりのそれを地面に置くなど、毛頭選択肢には入っていない。

「うう〜……」

 唸りながら、タオルを抱え直す。
 上手くすれば、開けられるのではないかと思ったからだ。






 と。




「えっ?」

 肩にぽん、と誰かの手が置かれて。



 驚いて振り向くのと同時に、キイ、と音がして部室のドアが開けられていた。
 目の前にある、顔。

「し、ば……?」

 明美言葉も忘れて、天国は呆然と呟く。
 突然現れた司馬をぽけっと見つめていると、司馬が小さく首を傾げた。
 さらりと、髪の揺れる音がする。
 その音に天国はやっと我に返った。


「あ、ありがと〜、司馬クン★ 助かっちゃったわv」

 困ってたのよー、ドア閉まってるし、片手じゃ開けられなさそうだったしー。

 …などと捲し立てながら、天国は司馬が開けてくれたままのドアの横を抜け部室に入る。
 司馬は天国が戻したレンガを押さえに使い、ドアが閉まらないようにしてくれていた。
 あ、やっぱ司馬って気が利く。
 それを横目に見ながら、天国の中での司馬の評価がまた上がったりなんかして。


 後できっちり礼を言おう、と決めつつ天国は自分の仕事を済ませることにした。
 先ず、抱えていたタオルを、(何故か入部当初から置いてある)ソファに下ろし。
 それから、タオルが入れてある棚の戸を開ける。
 空いているスペースに、持ってきたタオルを入れる。


「うっし、終わりっと」

 言って棚の戸を閉めようとしたところでまた、背後に人の気配。
 天国が振り返るよりも早く、ふわりと伸ばされた腕が棚の戸を閉めた。
 長い指に、思わず見入ってしまう。
 綺麗な指だなー。
 野球やって長いだろうに、ゴツゴツしてないし、長くてすらっとしてらー……
 そういや肝試しで背負われた時も、背中広かったしな。



 ……っていうか何でそんなこと考えてんだ、俺?!
 我に返った所で、心臓がぽーんっと跳ね上がった。

「やっだ、司馬クンてば相変わらず優しいんだから〜。明美、本気になっちゃうじゃない!」

 早鐘を打つ心臓を誤魔化す為に大声で言いながら、司馬の腕をバシバシと叩く。
 冗談混じりに言って、けれど返ってくるのは沈黙で。


 これが例えば子津だったら。
 きっと困ったように笑って何言ってんすか猿野君、とでも言ってきただろうし。
 もし兎丸だったら、フザけて悪ノリの一つでもしてくれたかもしれない。


 けれど。
 今天国の目の前にいるのは、どう見ても司馬でしかなく。
 困っている自分を助けてくれたのも、まごうことなく自分の前にいる司馬葵、その人なのだ。




「そうそう。さっきはホントにありがと★ 司馬クンて優しいのね〜」

 親切にされたらお礼を言う、は天国的モットーでもある。
 今は明美なので、しなを作りながらそう言うと。
 無言のまま、司馬が僅かに頬を染めた。
 しかしながら、その反応に固まってしまうのは天国の方で。


「や、あのな…ギャグにするとか気持ち悪がるとかしてくれねえと、俺もどう返していいものやら……」

 司馬に対しての言葉というよりも、どこか独り言のような口調で天国は言う。
 ぶつぶつ言う天国に、司馬は不思議そうに、どこか困ったように首を傾げた。
 それを見た天国は、ふっと苦笑する。

「や、別に気にすんな。お前はそういうヤツだしな。それがいい所だしさ」

 すっかり明美ぶりっ子も忘れ、天国は司馬の肩をぽんぽんと叩いた。





「? 司馬?」

 見られている。
 ジッと。
 それはもう、穴が空きますぜお客サン、な勢いで凝視されている。
 濃いサングラスでその目は隠れているけれど、その奥の目が自分に視線を注いでいるのが分かって。
 どうしよう。
 どうすればいいんだこういう場合は。



 ギャグにするか?
 (いやそれは流されるから却下だ。ツッコミのないギャグほど辛く哀しいものはない)

 明美ぶりッ子でしなだれかかってみるか?
 (いや、それはギャグと同義だ。大体司馬相手じゃマジな反応されそうで俺が反応返しきれねえ)

 いっそのこと、逃げてみるとかッ!
 (いや駄目だ。司馬を突き飛ばして逃げる、なんざやったらきっとコイツはどうしようもなく傷つく。それは不本意だ)



 悶々と考え込み、選択肢が浮かんでは消え浮かんでは消え。
 しかし天国はそこでふと気付いた。
 今の状況は司馬と見詰め合ったままだ、ということに。
 明美の格好をしているせいもあってか、構図的には一昔前の少女漫画だ。


 放課後、他に誰もいない部室でそこそこ憎からず思っている人間と見詰め合って。
 おまけになんだか微妙な密着体勢。


 手も足も出ない、というのはこういう状況のことを言うのかもな〜。
 動けない、視線も外せない、まるで金縛りにでもあったみたいだ。
 指先一つですら思ったように動かせなくて、天国は本気で自分はどうにかなってしまったのではないかと頭の片隅で思っていた。




「え、何……?」

 唐突に司馬の手が動いた。
 自分に向かって伸ばされたそれに反射的に肩を竦めてしまうが、司馬の手は天国に触れることはなく。
 自分の手前で止まったそれの意味を掴みかね、天国はぽけっと暫し見つめてしまう。

「あ、えっと?」

 司馬の手が何かを指し示していることに気付いたのは、数瞬間を置いてからだ。
 指の先を視線で追うと、それは天国…もとい明美の三つ編みで。



「あ、リボン……」

 示された先には、解けかけたリボンがあった。
 可愛らしい蝶々結びは崩れ、ゆらゆらと揺れている。
 このまま気付かずにいたら、いずれ完璧に解けてしまっていただろう。
 結び直さなきゃ、と天国が動くより早く、司馬の手が三つ編みに触れた。
 自分の髪でもないのに、心臓が跳ねる。



 なんでだろ、なんか、変だ。
 ……どきどき、する。
 司馬の手が、触れてるってだけなのに。
 しかもこれ、俺の髪じゃねーのに。
 なのになんで。
 なのにどうして。

 心臓が、うるせーのはなんでだろう。




 見た目のしなやかさ同様、司馬はやっぱり器用らしかった。
 きゅ、と結び直されたリボンは、ちゃんとかわいらしい蝶々結びになっていて。

「あ、あんがとな、司馬」

 天国は思わず、素で礼を言っていた。
 司馬は返事の代わりにか、ふっと口元を緩める。
 ああ、キレイだな、と。


 今まで何度か思ってきたことだけれど。
 司馬の声が聞いてみたいな、と。
 その笑顔を見て、改めてそう思った。
 きっとその声も、笑顔同様キレイなんだろうと。
 そんなことを、考えたから。


「し……?」

 リボンを結び直したその後で、けれど司馬の手は離れていくことなく三つ編みの先を弄っている。
 何やってんだ、と聞きかけたその時に。
 ふわ、と耳元に熱が触れて、天国は何が起こったのか分からずに立ち竦んでいた。




「        」




 耳元に囁かれたのだと気付いたのは、司馬が離れていってから。
 小さな小さな、けれどその囁きは天国の心にすとんと落ちた。
 初めて聞く司馬の声は、思っていた通り透き通るようなキレイな響きを持っていた。
 キレイなキレイな、けれどその性格と同じようにどこか躊躇いがちな声音で。


 囁いてから、司馬は三つ編みから手を離して。
 もう行こう、とばかりに放心している天国の肩をぽん、と叩いた。
 天国はそれに返事をせず、ただ促されるままに歩き出していて。
 歩きながら、天国はほとんど無意識のうちに手を動かして、三つ編みを束ねるリボンとゴムを外していた。
 編み込まれた髪を、手で解いていく。
 ずっと編んだままだったせいで、ゆるく癖がついているのは仕方ない。




「……司馬って、言霊使いだったりするか?」

「…………」

 返事は返らない。
 代わりに、微笑。
 それに思わず赤面してしまったりなんかして。
 ああもう、どこの少女漫画だちくしょう。
 内心悪態を吐きながら、言葉ほど嫌がっていない自分がいるのも、ちゃんと自覚はしていたりする。
 だから余計に、ああもうちくしょう、なのだ。







『髪…解いた方が、似合う、と思うよ?』






 たった一言で。


 陥落なんてさせないでよ。


 髪を伸ばしたのに、意味なんてないんだから。


 嬉しいなんて思わせないでよ。


 とりあえず今は、風に髪を揺らせておくけど。




 ゆらゆら、ふわり。





END


 

 

 

 

100題・課題35「髪の長い女」をお送りしました。

馬猿…というか、馬明?
何とも判別し難い話になりましたが。
ていうか、「女」じゃないけどね……(笑)

久々の司馬君は、やっぱり強引でした。
っつかうちの天国は赤面症です(勝手設定) ってぐらい赤面してますな。
ちうか明美…書いてて楽しすぎです……(笑)


UPDATE/2003.5.2

 

 

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