其れはしあわせの色にも似て










 天国は、動物が好きだ。



 未知の生き物だとか猛獣とかだったら話は変わってくるかもしれないが、基本的に動物ならほぼなんでも好き、と言っても過言ではないほど。
 そんな天国が。
 犬を飼っている、という犬飼の言葉に反応しない筈もなく。





「トリアエズ〜♪」


「……また来たのか、猿」


「おーう、だって俺トリアエズ好きだし。お、なになに、お前も俺のこと好きだって? んー、ありがとなー♪」


 ぐりぐりわしゃわしゃ、トリアエズの頭を撫でながら天国は嬉しげに笑っている。
 犬飼の少しばかり皮肉のこめられた言葉にもお構いなしに、だ。
 というよりも、犬飼の皮肉自体に気付いていないのかもしれない。
 トリアエズがその手をぺろりと舌で舐めると、天国は子供のように嬉しそうに笑うのだ。
 何だかんだ言っていたとしても、自分の愛犬がかわいがられるのは犬飼も嬉しくないわけではなく。


「とりあえず、さっさと行くぞ」


「よっし、今日も元気に散歩だトリアエズ!」


「……お前が仕切るな」


 いつの間にか当たり前になってしまった、犬飼とトリアエズの散歩に天国が混ざるという光景。




 今日も今日とて、お散歩開始。





「なーなー、今日はどのコース行くんだ?」


「川原、か?」


「なんで疑問系なんだよ……」


 イマイチはっきりしない犬飼の言葉に、天国は呆れたように言って。
 けれど、その顔には笑みが浮かんでいる。
 部活中での犬猿の仲っぷりが嘘か幻かと思わせるほど、トリアエズの散歩にくっついてくる時の天国は機嫌が良い。
 普段の二人を見慣れている人間がいたら「猿野のドッペルゲンガーがいる!」と驚くのではないかと思われるほどだ。



 最初こそ、その天国の変貌ぶりに驚き困惑していた犬飼だが。最近では慣れてきて。
 というか、気付いたという言う方が正しいか。
 天国は基本的に人当たりが良い。
 人懐こい、とでもいうか。
 意地っ張りだったり負けん気が強かったりするその所為で、一見するとややこしい性格だが。


 犬飼に対しても一度突っかかってしまった手前、未だに態度が崩せないでいるらしい。
 犬飼にしてみればその方が会話が弾む(周囲にはとてもそうは見えないかもしれないが、少なくとも犬飼はそう思っている)ので、態度を変えない天国はありがたくもあったが。


 ともかく、天国の意地とも言える何かが、トリアエズの存在によって緩和されるらしいのだ。
 沢松曰く、天国は無類の動物好きで。
 けれど自分の家では飼えないらしく、飼い犬の散歩、などは憧れだったらしい。
 そんな天国が「犬飼宅では犬(それも大型犬)を飼っている」という情報を貰って大人しくしていられるはずもなかった。
 何せ、思い立ったら即行動、な性格なものだから。





 休日、自室で何をするでもなく雑誌などを適当に見ていた犬飼が。
 母親の「お友達が来たわよ」の言葉に促されるまま玄関を出て、ぴしりと固まったのは仕方がない事なのかもしれない。
 門の向こうでひらひら手を振っていたのは、自他共に認める犬猿の仲な「猿野天国」だったのだから。
 絶句している犬飼に、天国が言い放った一言は。


「お前ん家の犬、見に来た♪」


 天国のその言葉に答えるように、来客に気付いて玄関まで着いてきていたトリアエズが家の中から一声、吠えた。


「何、すぐそこにいんじゃん。なぁなぁ、見せてくれってば」


 まるきり子供のような口調と表情に、犬飼は頭痛がしたような気がして額に手をやり。
 そうこうしているうちに、吠えるトリアエズの様子を見に来たのか、それとも息子の様子を見に来たのか母親が顔を覗かせる。
 開けられたドアからトリアエズが走り出てきて、立ち尽くす主に嬉しげに擦り寄り、間近でトリアエズを見た天国は嬉しげに歓声を上げた。


「おお、これが噂のトリアエズか! つかでっけえな〜、かわいいし!!」


 門ごしに手を伸ばす天国に、トリアエズは一瞬首を傾げはしたものの。
 自分に向けられるまっすぐな好意に気付いたのか、ふりふり尻尾を振りながらその手を匂ったりなんかし始めて。
 そんな光景を目にしていた犬飼の母親が「そんな所で立ってないであがってもらったら?」と声をかけるまでに、そう時間はかからなかった。




 あとはもう、坂を転がり落ちるかのようで。
 自分の意図が全く介入される余地もなく話が進んで行くのを、犬飼は半ば呆然と見ていた。
 それが、きっかけ。








「い〜ぬ〜??」


 言葉と共に目の前でひらひら手を振られ、犬飼は我に返る。
 一度己の考えに沈むと、ついそのまま考え込んでしまうのは犬飼の癖の一つだ。
 そんな犬飼の癖になど気付いている天国は、犬飼の手からトリアエズのリードをひょいと奪い取る。


 何時の間にか、散歩コースの川原に着いていたらしい。
 目の前には、春の緑が広がっている。
 日の光の下で、新緑が輝いている。


「オイ、猿……」


「ゆっくり考えてろよー。俺はトリアエズと遊んでっからさ!」


 お前、そっちのが目的だろう。
 そう思いはしたが、既にトリアエズのリードを掴んで走り出してしまった天国を追いかける気にもならず。
 トリアエズの柔らかな毛並みと、天国の見た目よりずっと柔らかい茶色の髪が風を切るたびに揺れるのを、犬飼は見送るしかなかった。


 春の陽光は暖かい。
 きらきら輝く新緑が、目に眩しかった。
 天国はトリアエズのリードを外し、手にした赤いボールを投げた。
 投げられたボールを追いかけ、トリアエズが疾走する。


 見慣れたはずのそんな光景がなんだか遠く見えて、犬飼は溜め息のように息を吐くと、草の上に腰を下ろした。
 草の匂いが、近くなる。
 春の、匂いだ。


 天気の良さも手伝ってか、川原にはちらほら人影が見て取れる。
 散歩らしく、ゆっくりした足取りで歩く老夫婦。
 小型犬をリードに繋ぎ、歩いている小学生ほどの少女。
 自主練だろうか、サッカーボールを蹴っている、犬飼たちとさほど年が変わらないくらいの少年。
 自転車にビニール袋を乗せ、通り過ぎて行く中年の女性。
 見るとはなしにそんな光景を見ていたら。



 ぬ、と目の前に何かが差し出された。



「っ?」


 一瞬息を飲むが、それを差し出してきたのが天国だと気付き、犬飼は肩の力を抜く。
 ひとしきり遊んで満足したらしいトリアエズが、犬飼の前にやってきて座り込んだ。
 天国はその口からボールを受け取り、ぐりぐりっとトリアエズの頭を撫でてやる。
 そうしてから、天国は犬飼の隣りに腰を下ろした。


「まーだ考え込んでんのかよ、ワンコ」


「別に……っつかその花、どっから盗んできたんだ」


 言いながら犬飼が目線で示したのは、天国の手の中にある菜の花だった。
 先ほど犬飼の目の前に差し出されたのも、その花で。
 日だまりの中で育ったのだろうその花は、日の光を充分に受けたのを象徴するかのような黄色い花を咲かせていた。
 犬飼の言葉に、天国はむうと唇を曲げる。


「む、盗んでなんかねーよーだ。失敬だぞ、お前」


「勝手に取ってきたんだろうが」


「そうだけど……自生してたヤツだし」


「誰かが育ててたら?」


「んなことあるかよ」


「言い切れる根拠は?」


 畳み掛けるように問われ、天国はぐっと黙り込んだ。
 言葉をなくした天国は、手の中の菜の花を思わず見つめてしまう。
 黄色いその花は、なんだか凄く綺麗で。
 天国は女のコではないから(女装はしたりするけれども)、別に花を愛でる趣味はない。
 けれど、この花は。
 トリアエズと遊んでいて、ふと見つけたこの菜の花は。
 自分でも分からないけれど、何故か、無性に触れたくなった。


 欲しくなった。


 触れたそれを思わず手折ってしまったのは、自分でも何故だか分からない。




 ただ。




「太陽みたいな、色だと思ったんだよ」


「何?」


「この花。太陽みたいだって。綺麗だって、そう思ったんだ」


 それで、欲しくなった。
 気付いたら、触れていた。
 陽の色を写し取ったような色の、花。
 天国は握ったそれの香りを確かめるように、花を顔に近づけて。


「お前、なんか知らねーけど考え込んでるし。暗いし。せめて明るいものでも傍に置いておけばいいんじゃねーかなって」


 ぼそぼそと、言い訳をする子供のような口調で天国は言う。
 気恥ずかしいのか視線を上げようとしない天国は、その時の犬飼が珍しくも瞠目していたのを見逃す事になる。
 まさか。
 いくらトリアエズを通して多少距離が近くなっていたとは言え、天国が自分に対してそんなことを考えているとは、思いも寄らなかったのだ。


 ふ、と。
 その時の自分がどんな表情をしていたか、犬飼は知らないし、気付いてもいない。
 仏頂面が普段の犬飼にしてはありえないような、柔らかな微笑。
 まるで今日の日の暖かな陽射しを思わせるような。
 はからずしもそれを見たのは、トリアエズだけだったのだけれど。


「ちょ、なんだよ犬っ」


 天国が声を上げたのは、不意に伸びてきた犬飼の手が天国の手から菜の花を取り上げたから。


「辛気くせー面してんな。仕方ねーからもらってやる」


「な、誰もお前にやる為に持ってきたとは言ってねーだろ!」


「そろそろ行くぞ。トリアエズのリード繋げ」


「人の話聞いて…って、さっさと行ってんじゃねえっつの! ああもう〜、っし、できたっと」


 言うだけ言ってさっさと歩き出してしまった犬飼に、天国はトリアエズのリードを慌てて繋ぐ。
 待っててくれる気なんて微塵もないらしい犬飼の背は、すでに離れ始めていた。
 顔を上げた天国は、悪態をつきながらそれを追いかける。


「くそう、お前の主人マジ薄情なのなっ」




 背中から追いかけてくる声は、相変わらず騒がしい。
 けれど。
 その音が耳障りだと思わなくなったのは、一体何時からだろう。
 花を片手に歩くなんて、自分らしからぬ行動だとは自覚しているのだけれど。
 目に眩しい色のその花は、悪い気はしなかった。





 春の陽の匂いが、する。


 そんな気がして。


 犬飼は手にした菜の花をまじまじと見つめ。




 ふ、っと。


 また微笑を零したのだった。







◇END◇


 

 

 

100題、28「菜の花」をお送りしました〜。
この話は4004ミラー番をお踏みくださった白雪様へ捧げます。
よければお持ち帰りくださいませ、白雪様★
こんなんいらんわ、って言われるに一万点。
は●たいらさんに三千点。

春らしい話をね、書きたくなったのですよ。
どこがだって言われるとどうしようもないのですけれども(ぐふぅ)
春らしい爽やかさを追究したらCP要素薄くなるという事態に!!(死んで来い)
BGMを浪漫飛行にしたせいかもしれませんな〜(責任転嫁すな)
あ、ちなみにPsycho le Cemuの方の浪漫飛行ですよ、お間違いなく★

UPDATE/2003.4.26

 

 

 

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