嘘だろ。
 こんな、バカみてーに。
 信じらんねー。


 どんだけ疑っても、どんだけ自問しても。


 落ちちまったもんは、どうしようもねー。


 ただ、溺れてく。




 ……もう、息もできない。










  恋をしたなら陸に上がれ、
    光の届かない水底にいる深海魚よ。











 最近の俺の日課は、ストーカーよろしくとある人物の背後を歩く事だ。



 つってもストーカーではない、断じて。
 そこは俺の名誉の為にもしっかり主張させてもらう。
 俺は相手に堂々と姿を見せているし、話しかけてもいる。そうすりゃ、ちゃんと相手から答えだって返って来る。


 その答えが多少不機嫌に彩られているとしても、そこはご愛嬌だ。
 まぁともかく、ストーカーなどでは断じてねーってこった。
 それさえ分かって貰えりゃそれでいい。


 じゃあ何で相手の後ろを歩いているかって、隣りに並ぶのを許してもらえねーからだ。
 それというのも。




「な〜、いい加減落ちたっしょー?」

「落ちてねーっての。しつけーぞ」

「俺にしとけって」

「イ・ヤ・だ・ね」


 前を歩く背中に声をかける。
 俺よか頭半分くらい低い背中は、だけど確実に俺を拒否ってる。
 バッカだなー、そうされりゃされるほど燃えるんだけど?


 ってか、わざわざ一語ずつ強調しやがったよ。
 んーだよ、素直じゃねーなー。
 あ、ゲーセン発見。
 いやもう何度も通ってっからそんなん知ってっけど。


「なぁ天国、ゲーセン寄んね?」

「疲れたし無駄金ねーからヤだ。…ってか何度も言うようだが何で勝手に人のファーストネームを呼んでやがんだよ」

「親愛の証ってやつ? っつか俺と天国の仲なんだから、名前呼ぶくらいいいっしょー。むしろ当然てやつか?」



 前を歩く天国の肩が、ぴくりと揺れた。
 ああ、そろそろこっち見てくれんな。
 行動パターン分かりやすすぎ。
 付き合いの浅い(日数的にも、親密度的にもだ)俺にこんなに分かられてるようじゃ、入学の頃から付き合いのある奴にゃモロバレだろ。

 あ、なんかそれも面白くねーな。
 十二支にゃクセの有る連中が勢揃いだったかんな、油断はできねーし。


 ま、そろそろこっち向いて欲しいし?
 も少し、後押ししてやりゃすぐだよな。




「そんなん言うならお前も俺の名前呼びゃいーじゃんよ」

「お断りさせていただきます」

「つか呼んでほしいし? いやむしろ呼ぶべきっしょ」


 畳み掛けるように言ってやる。
 それこそ相手の話など聞く耳持ってません、な勢いで。
 そーすりゃ、ホラ。
 予想通り、天国が俺の方へ顔を向けた。
 その眉が不機嫌そうに寄せられてっけど、俺にしてみりゃ作戦成功、ってな勢いだ。
 何にせよこっち見てくれたワケだしな。



「……つかぬことを伺いますが、俺とお前の仲ってナンデスカ?」


 そう訊く口元が引き攣っているのは、見ないフリだ。
 俺はふっと口元を緩めて、答えてやる。
 俺が天国の後ろを歩くようになって、幾度となく口にした言葉だ。
 ……ちなみに、それが天国の隣りを歩かせてもらえない原因でもある。


「何ってそんなん決まってるっしょ。恋び」

「黙れ馬鹿!!」



 大声で遮られた。
 このやり取りも、もう何度か繰り返してる。
 恋人同士、だと。ちゃんと口に出来たのは最初に天国に告げた一回だけだ。
 つーか俺の名前はばか、じゃなく芭唐、だ。
 いい加減ちゃんと呼べよなー。



 俺が、天国の後ろを歩いている理由。
 それは偏に、俺が天国に交際を申し込んだから、だ。
 ちなみに今現在もその交渉は続いてたりする。


 勝算?
 あるに決まってっしょ。
 勝ち目のない賭けには乗らないし。
 っつか俺が負けるなんてこと、ありえねーし。



「なんだよ、そんな思いっきり否定しなくてもいいっしょー。傷つくっての」

「本当に傷ついた奴がそやってニヤニヤ笑ってるかよっ」


 あ、見られてた。
 ごまかしがてらにガムを膨らますと、天国はふいと前を向いてしまった。
 なんだ、つまんねえ。


 天国が前を向いた拍子に、セットしてんのかただのくせっ毛なのか分かんねー茶色い髪が(一度聞いたら別に脱色とかはしてねーらしい。色素薄くね? 虹彩も明るい茶色してっし)、ふわっと跳ねるように揺れた。
 うわ、やべ。
 今、無性に触りたくなった。
 つっても、そんなんいきなり言っても拒否られるに決まってっから。(無言で拳が飛んでこなきゃいい方だ)





「天国、ちょい止まれ」

「は? 何……」


 天国の肩を掴んで、半ば無理矢理止めさせた。
 訝しげな目を向けてはくるが、ここで律儀に足を止めるのが素直っつーか、迂闊っつーか。
 俺にとっちゃ好都合なんだけど。
 いやでも、万事がこの調子なんだとしたら……それって、ヤバくね?
 すーぐ騙されるじゃねーか。
 っと、それはともかくだ。


「髪、葉っぱついてる。後ろのトコ」

「マジ? どの辺だ?」

「小っさいし、絡まってるっぽいから自分じゃ無理だって。ちっとジッとしてろよ」

「ん」




 つーか、騙されやすすぎっしょ。
 今だって言われるままにジッとしてるし。
 なあ、それってさ。
 俺のこと信用してる、って思っても、いいわけ?
 口で言ってるほど、嫌われてないって。
 そう思っても。
 自惚れだとしても、そう思うぜ、こんな状況。


 衝動ってのは、抑えるためにあるもんじゃない。
 俺は、衝動を抑えることもなくまんまと天国の髪に触れることに成功した。
 俺らしくねーけど、触れるのに少しだけ躊躇って。
 そんでも俺は、天国の髪に触れた。





 あ。
 やらけー。
 見た目ちょっと固そうだと思った天国の髪は、存外ふんわりと指先に触れた。
 うわ、ちょっと待てちょっと待て。
 離しがたい。
 つか、なんでこれだけのことでこんなに喜んじゃってるわけ、俺。
 おかしいっしょ。
 ありえねえっしょ。
 何をしたわけでもねーってのに。


 動悸がする気さえ、するなんて。
 そういや俺。
 天国にこんな風に触れるの、初めてだ。


「取れたか〜?」

「もう、ちょい」


 その時声が震えなかったのは。いつも通りを装えたのは、ある意味奇跡的だった。
 ポーカーフェイスに慣れた自分に、感謝したくなった。思わず。
 離しがたい、けど。


 そろそろやめなきゃ、バレそうだよな。
 まかり間違ってバレたりしたら、二度と触らせてもらえなそーだし。
 名残惜しい気はめちゃくちゃしたが(ずっと触っていたかったし)、俺は天国の髪を軽く引いて着いてもいない葉っぱを取るフリをした。




「ん、いーぜ。取れた」

「さーんきゅ」


 言いながら振り向いた天国は。
 至近距離で、極上の笑顔をかましてくれた。
 待てよ。
 そんなん、反則だろ。
 いっそ無防備なほどまっすぐ向けられる笑顔に。
 泣きたいぐらい嬉しくなった。


「御柳?」

 黙ってしまった俺を不審に思ったんだろう。
 天国が僅かに首を傾げた。
 本人は気付いちゃいない、けど俺にしてみりゃガキっぽくてらしいな、と思っちまう、天国の癖。
 それすらなんかもう、俺の動悸を跳ね上げてくれるには充分すぎるほどで。


「髪、結構細いのな。なんか意外だった」

「んー? ああ、沢松とかにも言われたことあるな、それ。ブリーチとかするとすぐ痛むだろうから、やめといた方がいいって」



 これ以上の沈黙はきっと天国が不審がるだろうから、と。
 なんとかかんとか当たり障りのない言葉を絞り出した。
 天国は、俺の言葉にきょとん、としてから自分の髪に手をやっている。


「お前はこのまんまでいいっしょ」

「ま、別に染める予定もその気もねーけどな」

「俺、天国の髪の色好きだし。その方が嬉しい」


 零れた言葉は。
 意識してではなく、自然に出たものだった。
 天国が目の前で目を丸くしていたが、それ以上に俺は驚いていた。
 何にって、そりゃ自分の言った言葉に、だ。
 いや、だってこんなんさらっと言うようなキャラじゃねーだろ、俺!



 と。



 天国は何度か瞬きし、それから。
 その頬が、見る間に紅潮した。
 感情的になるとすぐ顔に出るのな。
 俺にはできねー。……けど、キライじゃねんだよ、それが。


「え、いや、あ、ありがと……で、いいのか?」

「そう思ったんなら、それでいんじゃね?」

「恥ずいけど、でも、うん。褒められんのは嬉しいから。あんがとな」


 紅潮した顔が熱いらしく(そりゃそこまで赤くなればな……)、ぱたぱた手で顔を扇ぎながら天国は言った。
 照れまくっている天国の様子を見ていたら、逆に落ち着いてきた。
 今更言っちまったもんはどーにもできねーし。
 つーか逆に再認識させられたっつの。
 俺、マジに好きだわ。コイツのこと。





 最初は。
 一番最初は、からかい半分だったんだ。
 最低だけど、それは認める。
 くるくる変わる表情だとか、思ったことをストレートにぶつけてくるトコとか、無茶苦茶やっていながらも周りに人が絶えないだとか。
 そういうのを、見て。
 興味が湧いた。
 目新しい玩具に近づくみたいに。


 半ば押しかけるみたいに傍にいるようになって。
 それは確かに長い時間だとは言えないものだったけれど、それでも。
 話をして、一緒に飯食ったり、ゲーセン寄ったりだとかしてみて。
 手放しがたく、なった。




「天国」


 きっとコイツは。
 イヤだとかキライだとか言いながら、それでも受け容れることができるんだろう。
 しかも、笑いながら。相手が泣いているのなら、それを宥めすかしながら。
 俺が後ろを歩くようになって、それでもそれを止めないのは。
 突き放すことができない、そうすることを知らないからなんだろう。


 それでも。
 俺に笑ってくれるのは、嘘じゃないだろ。
 後ろを歩いてても、許されるのは。
 話しかけたら、返事をしてくれるのは。
 お前の中に、少しでも俺っていう存在の居場所があるから、だろ。



 平気そうな顔してっけど。
 実際手ひどい傷にはなっていないけど。
 それでも、お前に拒否られるたびに。
 自分でも気付いていなかったけど、俺は、きっと、どこかしら傷ついていたんだと思う。
 けど、そうしていながらも後ろを歩く俺を振り返ったり、気が向いたように寄り道を誘ったり。
 そういうことを、してくれっから。
 だから俺は、天国の後ろを歩くことを懲りたりしなかった。


 イヤなら、本当に嫌悪するなら。
 抵抗とか、拒否とか。
 そういうの、しろよ。
 口で言うほど、俺がキライじゃないだろう?
 自惚れるからな、俺。
 少しでもお前の中に俺の居場所があるってんなら。
 それに付け入って、俺の居場所を広げてやるからな。


 俺を招いたのは、お前なんだからな。
 たとえばそれが、お前を傷つけることにしかならなくても。





「……なんだよ、呼ぶだけ呼んで黙りこくって」

「俺、お前が好きだ」

「何度目だよ……」


 天国がげんなりとした表情になる。
 そう、この言葉も。
 幾度となく繰り返した、言葉だった。
 だけど。
 ここで引き下がるわけにはいかねーんだよ。


 またか、とばかりに踵を返そうとした天国の腕を、俺は掴んでいた。
 自分で思っていたよりも力が入っていたらしく、天国が弾かれたように振り返る。
 眉根に少し皺が寄っていたから、痛かったのかもしれない。



「みやな」

「好きだ。届くまで何度だって言うって、最初に言ったっしょ。好きだから」

「何お前、どうし」

「好きだ好きだ好きだ。なぁ、聞こえてっか?」


 あれ、いつもと逆になってら。
 いつもなら、天国が俺の言葉を遮るのに。
 今は、俺が天国の言葉を遮ってる。
 天国は、俺の様子が普段と違うことに気付いたんだろう。(実際コイツは周りから思われてるほどに鈍くない。むしろ聡いほうだと思う)
 真剣な表情になって、けどどこか心配そうに俺を見てた。


「足りない?」

「な、ちょ、おい」


 掴んだ腕を引いて、そのまま天国を抱きしめた。
 持っていた鞄が落ちて音をたてたけど、気にならなかった。
 少し遅れて、天国の肩から滑り落ちた鞄が地面に落ちる音が響く。
 乾いた音だった。
 二度目のその音は、今度はやけにハッキリと俺の耳を穿った。


 ふざけて腕を引いたり、肩を組んだりしたことはあったけど。
 ここまで密着したのは、初めてだった。
 抱きしめた天国は、予想通りというか何と言うか、すっげー暖かかった。
 ああ、でも。抱きしめた、というよりも俺の腕に閉じ込めた、のが合ってっかも。
 天国は抵抗もしなかったけど、抱きしめ返してくれるわけでもなかったから。
 それでも、逃げなかったのが。
 俺はこの上なく、嬉しかった。




「聞こえねー? 俺、すっげドキドキしてんだけど」

「……こんだけ密着すりゃ聞こえない方がおかしいだろ」

「この方が、分かりやすいっしょ。それだけ、お前のこと好きなんだけど」


 好き、と口にした時。
 天国が、身じろいだ。
 抵抗されんのかと思ったけど、それだけだった。
 緊張してるみたく強張ってる肩を軽く叩くと、ふっと力が抜けた。
 それで少し、天国の体重が俺に預けられた。
 やべ。
 すっげ、嬉しいかも。


「御柳さぁ」


 天国の声は、少しくぐもっていた。
 他ならぬ俺の肩の辺りに顔があるからなんだけど。
 天国が口を開くと、肩に息が触れて。
 その暖かさが、また俺には嬉しかった。


「最初の時と、変わったな」

「変わった? ……どんなん?」

「目が、さ。最初は、海の底みたいだった。海の底で、光の届かない場所で、底ばっか見てる魚みたいだった」


 唄うように紡がれる天国の言葉は。
 その内容もやっぱり、どこか唄みたいだった。
 返事の代わりに、俺はその肩をそっと撫でた。


「でも今さ。やっと見れた気がした。お前の、目」




 言葉を途切れさせた天国が、少し頭を動かした。
 多分、首を傾げたんだと思う。
 いつも見せる癖みたいに。
 きっと言葉を探してるんだろう。
 天国が頭を動かした拍子に、その髪が俺の頬に触れた。


 日向の匂いが、する。


 同じように、長さで言えば俺の方がよっぽど長く野球をやってるのに。
 太陽の下にいるはずなのに。
 俺からでは到底しないような、暖かい匂いが。
 天国の髪からは、した。


「やっと陸に上がってきたな、お前」

「……深海魚が陸に上がったら死ぬっつの、普通」

「嘘ばっか吐くなよ。とっくに溺れてるくせして」




 俺の言葉に、天国は笑ったようだった。
 抱きしめた腕に、振動が伝わってきたから。





 溺れてる。



 ああ、そうだ、とっくに。






 俺は、この感情に。





◇END◇















 余談だが。
 往来でいきなり抱きしめたりなんぞしたせいで、俺はこの後飯を奢らされるハメになった。
 ついでにトドメは。


「つーか俺、まだ落ちてねーからな? せいぜい頑張れよ」




 ……くそ。
 なんつーか、そりゃねーっしょ。








 

 

 

100題・課題96「溺れる魚」をお送りしました。

えっらい長いタイトルついてます、な芭→猿です。
芭唐氏一人称。
…にしたらなんかヘタレ?(汗)

仕事中に突然ネタ神様が降臨された話。
思い付いた瞬間タイトルのあまりの長さに失笑してみたり。
だってB'●の「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」(21文字)よか長い。
「恋をしたなら陸に上がれ、光の届かない水底にいる深海魚よ。」(28文字、句読点含む)
ついでに話そのものも予定より長くなったのは内緒の話。

UPDATE/2003.6.26

 

 

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