君に××されたいなんて甘い声で囁く貴方の肩に死神



 闇というものはどこにでも潜んでいるものなのだ、と。
 大通りに面している細い路地や。いつも通っている道の一本横を入っただけで。
 世界はがらりと、姿を変えてみたりする。
 それに、気付かされたのは。その闇から伸びてくる手が、この腕を掴むようになってからだ。

 何気ない、ふとした瞬間に。黒く暗いその場所から、ひらりと手が伸ばされる。
 暗い、とは言っても少しの日の光も届かないという訳ではないのに。
 その瞬間に見えるのは、いつもいつも腕ばかりだ。
 指名手配犯だというのに冗談のように派手な柄の着物も。
 ただ立っているだけで気圧されるような、異様なまでの存在感も。
 何一つ見えない。分からない。感じられない。
 それはまるで、存在そのものが嘘であるかのように。あたかも幻であるかのように。
 闇に紛れられるような人種じゃ、ないくせに。

 それでも、今まで一度として事前にその存在に気付けたことがないのだから、やはり意図して身を潜め ているのだろうと思う。
 一応は指名手配の自覚があるのか、単にこちらを驚かす事が目的なのか。
 ……どちらかと言えば後者のような気がしないでもないが。
 気付けないのは悔しいけれど、それでいいのかもしれない。
 何もない場所から伸ばされる腕は、まるで闇そのもののようで。
 闇に捕らわれたのならば仕方ないと、どこか諦めのような気持ちで許容出来るから。

 背に回された腕、そのぬくもりは闇ではありえないと分かっていながら、そんな事を考える。
 振り払えないのも逃げられないのも「コレ」が闇だから。
 言い訳のような思考に苦笑し、あながち間違ってもいないじゃないかと思い直した。

「………  」

 名前を呼びたい。
 唐突に閃いた思考は、一体どこから生まれ出でたものだったのか。
 薄く開いた唇からはしかし声は発せられなかった。今まで一度たりとも呼んだことがないのに、今更何 をどう言えというのだろう。
 諦めに目を伏せ、肩の力を抜いた。
 煙の匂いがする。けれど苦いばかりではなく、どこか甘さも含んだような。
 それが高杉が好んで持っている煙管の匂いであることはもうとっくに知っていた。視覚よりも早くに 嗅覚に刷り込まれた、それ。

 不意に、肩口で高杉が笑う気配がした。
 新八が顔を上げるより早く、拘束するように体に回されていた腕がするりと解かれる。けれど一息吐く 間もなく、その手は新八の首に舞い戻った。
 このまま力をこめられれば、窒息するよりも早く首の骨が折れるのだろう。
 それだけの力量は持っている人だ。

 目の前、息がかかる程なんて距離じゃない、唇が触れそうな程近くに、相手の顔がある。
 急所を掴まれているというのに、新八の心はどこか穏やかだった。怯えも恐れも、焦りも浮かんでこな い。
 向けられる視線から目を逸らさず、ただ見返す。
 狂気めいた光はそのままに、けれどどこか幼子のようだとも思えた。

「……  してやろうか」

 独り言のような、声。掠れた音。
 それでも近すぎた距離は、しっかりとその言葉を新八の耳に届けていた。
 きっと高杉自身、言うつもりもなかったであろう言葉。
 耳にした言葉に新八は思わず。
 笑って、いた。

「お好きにどうぞ」

 言えば、高杉の顔が歪む。
 笑いたいのか怒りたいのか、それとも泣きたいのか。
 暫く待ったが、結局高杉はそのどれも選ばずに。
 首を掴んでいた手は離れて、もう一度抱き寄せられていた。

 新八は高杉の肩越しに、路地の奥を見た。
 薄暗いそこには、澱むような闇がある。
 誘う暗さは、それでも今の新八に恐れを抱かせる程の力は持たなかった。
 恐れるべきは、渦巻く闇ではなく。

 死神だと、思っていたのになあ。
 胸の内でぽつりと呟いた。
 立ち振る舞いも、思考も、何もかもが現実離れしていて、自分からはかけ離れていて。
 そんな人だと思っていたのに。
 闇そのものだと、考えていたのに。
 今ここにいるのは、一人の男でしかなくて。

「不器用な人ばっかりだ」

 勿論それは、己も含めての自嘲だったのだけれど。
 その呟きをどう捉えたのか、高杉の手に力がこめられた。
 何も言わない、子供のような人。
 路地の奥で何かが揺れたように見えた。だがそれを確かめる術はなく。
 揺れているのは、僕の心なんだろうけど。
 そんな事を考えながら、目を伏せた。


 本当に恐れるべきは。
 揺らぎ、絆されて始めている、己の心。



END

 

 

100題86・肩越しをお届けしました。

雰囲気で読んでくださいみたいな話に…ッ
しかし長いタイトルだなあ。
もっと長いの付けたことありますけどねっ(威張れません)


UPDATE 2007/10/27

 

 

 

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