はぴば。 待ち合わせ場所に辿りついた天国は、そのまま素通りしてやろうかと思った。 もしくは、このまま回れ右をして帰ってしまおうか、とも。 けれどそうすることはしなかった。 約束を違えた時の相手の反応は考えるもおぞましいものだったし、それより何より。 大変不本意なことながら、天国は彼を無碍に出来てしまうほど非情には出来ていなかった。 そう、己の恋人の存在をなかったことになど到底出来なかったのだ。 内心で溜め息を吐きながら、のろのろと待ち合わせた相手に近付いていく。 足取りが重くなるのは仕方ない。まがりなりにも自分の恋人が異性に囲まれて楽しそうにしていれば、やっぱり気分は良くない。 やっぱり駅前で待ち合わせはダメだなぁ。 アイツ、人集め過ぎ。 昨今の女のコは可愛いだけじゃなくて逞しい。 それは、某ガン黒犬の追っかけなどを見ていてつくづく考えさせられた。 今だって。 顔立ちはまあ整っていると言えなくもないが、目元に隈取りもかくやの紅い縁どりなんぞをしている男に果敢に話しかけたりしているのだから。 そう、天国の待ち合わせ相手は彼、御柳芭唐だったりする。 何がどうなって恋人同士、などという関係になるに至ったかその紆余曲折は長くなるのでここでは省くが、意外なほどに相性の合った二人はそこそこ上手く付き合っている。 「おー、天国! おっせーって」 近付く天国に気付いた御柳が、嬉しそうな顔で手を振る。 天国はそれに片手を上げて答えた。 何となく、御柳の周りにいる少女たちに近寄るのは気が引けてその場で足を止める。 「御柳くん、行っちゃうのー?」 「うんそう、行っちゃうのー」 御柳の周りにたむろしていた少女のうちの一人が、残念そうにそんなことを言った。 甘くて可愛らしい、声。 反射的に声のした方に目を向ければ、声同様顔立ちも可愛らしかった。 御柳はそんな少女の言葉を真似て答え。 おどけたようなその答えに、少女はくすくすと笑った。 ばいばい、と手を振る御柳に少女たちはそれ以上引き留めるでもなく。 開けられた道を当然のように悠々と、自分へ向かって歩いてくるのを天国は半ば呆然と見つめていた。 その、何の迷いも躊躇いもない仕草に胸中に複雑な感情が込み上げた。 自分の元へまっすぐ来てくれるのが嬉しいとか。 あんな可愛いコなのに勿体無いなあとか。 自分を優先されたことへの、ちょっとした優越感とか。 ああもうどうしようもないっていうか、しょーもない、俺。 軽い自己嫌悪に陥りつつ、な天国を余所に。 目の前まで迫ってきた御柳はにや、と唇の端を吊り上げた。 それはもう、悪魔的というか大魔王的というか、ともかくそういう類の悪そうな顔で。 本能的にぞわりと震えが走った天国だったが、何がしかの行動を起こす前に御柳が天国の肩にぽん、と手を置いた。 それは至極さり気ない、軽い仕草に見えるものだったけれども。 反射的に動こうとした天国の身体を抑えつけるほどの、絶対的な力がこめられていた。 それを知るのは肩を掴まれている天国と、掴んでいる御柳本人以外にはいなかったのだけれども。 「今まで話してた俺のイチバンなー、コイツだから」 へらり。 そんな音がしそうな笑顔で、御柳が笑う。 言葉の向けられた先は、言わずと知れたつい今しがたまで談笑していた少女たちへ向けて、だ。 少女たちの時間が止まったのが、天国には見えた気がした。 一瞬の停止、その後にゆっくりとお互いの顔を見合わせる。 ……いたたまれない、むしろ俺が。 ていうか何、何を話してたんだコイツ。 あーんな嬉しそうなヤニ下がっちゃっただらしねー顔で何話してたかって、言うに事欠いて俺の話ですか!! 胸倉つかんでそう問い質してやりたかったのだが、肩を掴まれていて腕は動かせなかった。 何より、怒鳴ることよりも恥ずかしさが前面に押し出されてしまい、顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。 少女たちの目線がゆっくりと自分へ向けられるのが、余計に羞恥心を煽った。 「俺の惚気、聞いてくれてあんがとねー」 うわあ。 バカだバカだとは思ってたけど、マジバカだコイツ。 あの、何でそんなにバカなのお前。 ていうか、そのバカに付き合ってたり、あまつこれを口に出せない俺ももしかしなくても相当バカなのかもしんねー……くそぅ。 御柳はとどめとばかりにそんな一言を放ち、天国に向き直った。 笑い出したそうに細められた目元に、全部計算づくなんだろうなと思う。 それに付き合わされた少女たちには、ただただ同情の念を送るしかなかった。 「さってと。んじゃ行こっか?」 「……どこに」 「今日バレンタインだし、チョコでも買いに行くかー? お前甘いの好きっしょ」 「年中ガム噛んでる奴の比じゃねーとは思うけどな」 脱力しながら、嫌味まじりにそんなことを言ってやる。 こんな一言でどうにかなるような相手ではないことなど、重々承知しているのだけれど。 針の先で突ついたほどのダメージであろうと、もしくはそれにも及ばないほどであろうと、勝手に自分のことを暴露されていたのだから。少しくらいの意趣返しはしてもバチは当たらないだろうと思う。 案の定、天国の嫌味などどこ吹く風で御柳はどこにしようかなー、と視線を辺りに巡らせている。 ……何だか段々、悔しくなってきたな。 チョコはまあ、嫌いじゃない。 というか、甘いのは好きなのでチョコを買いに行くという案には反対なわけではない。 バレンタイン戦線のお陰で、今なら普段ならついぞ見かけないようなチョコレートをあれやこれやと拝むことが出来るだろうから。 じゃあ何が悔しいのかって。 多分。 嬉しそうな顔をして、惚気たりなんぞしていた御柳が少しだけ、羨ましくあったりして。 羨ましかったり、恥ずかしかったり、それでいて嬉しかったりと複雑に感情が入り混じってしまうのは仕方ないことだと思うけれど。 でも、ずるい、と。 瞬間的にそう思ってしまったのは、今更どうしようもない。 だって、ずりぃじゃん。 俺だって自慢してーよ。 好きな奴のこと。その隣りにいられるってこと。 あんな、嬉しそうな顔で。 腹立たしさやら悔しさやら、感情の赴くままに。 天国は手を伸ばした。 豪快なホームランを打つその手のひらは、そのまま御柳の手のひらを捕まえる。 「お? 何だよ天国、随分積極的じゃん」 「バレンタインだし。偶には恋人気分を満喫してもいーだろ」 「何ならキスの一つもしてみっかー?」 「……マジでしたらぶっ飛ばすかんな」 思っていたより驚かなかったけれど。 まあ、一応は驚いたようなので少しばかりの意趣返しは完了したと思うことにした。 何のことはない、天国の手が御柳の手に絡められただけなのだけれども。 スキンシップはそこそこ好きなのに、人目があるとどうにも退いてしまう天国にすれば珍しいことこの上ない行動だ。 切れ長の目がきゅ、と一瞬見開かれたのが見られたからまあいいか、と思う。 繋いだ手が暖かいから、それ以上はいいかな、と。 調子に乗ったらしい御柳が顔を近づけてくるのには、低い声で呟いてやったが。 多分そんな答えは予想の範疇内だったのだろう、御柳はそれ以上言い募ることもなく肩を竦めた。 かわりに、握った手に少し力が込められる。 冗談めかした言葉だったけれど、恐らく半分以上本気で言っていたに違いない。 少し痛いぐらいの力で握られた手が、それを物語っていた。 仕方ねーやつだなぁ。 子供じゃん、まるっきり。 その子供じみた奴に惚れてる自分も、似たようなものなのだろうとは思うけれど。 何だかおかしくなって、天国は控えめに笑った。 手を繋いでいた御柳には、どうしたって笑っているのはバレてしまうと分かってはいても。 何となく、そうせずにはいられなかった。 「オラ御柳、さっさと行くぞ!」 「おー」 「投げ遣りになんなよ、バカ」 「だーって天国がキス拒むし。へこむっしょー」 「……チョコ買って、お前の部屋行って、そしたらさせてやるよ。思う存分。口移しでチョコ食わせろ、お前が」 「あ、まくに?」 「あのなー、俺だってお前のこと好きなの、分かってる?」 溜め息を吐いて御柳を軽く睨み上げれば。 そこには頬を染めた御柳芭唐、という何の冗談か悪夢か、という光景があって。 天国は思わず閉口していた。 驚いている天国に、御柳は言葉もなく首を縦に振った。 こくこく、と。 その仕草がまるきり子供で、天国はまた笑ってしまう。 「イベント事ってーのも、偶にゃいいもんだな」 「……おう」 「お前、案外かわいーのなー」 くつくつと笑う天国は知らない。 御柳が胸中で、その言葉を後悔させるような目にあわせてやる、などと物騒極まりないことを呟いていたことを。 何はともあれ。 Happy Valentine! なのである。 世界中の恋人たちに、幸いあれ。 END |
100題・課題44「バレンタイン」をお送りしました。 バ レ ン タ イ ン に 間 に 合 わ な か っ た バレンタインの話でございます。 何かこー、御柳さんがアホの仔丸出しなのはいつものことなんですが、 今回はまた呆れるほどにアホだというか。 なんでそんなにバカなのお前。 と天国さんが作中で思っておられますがむしろ金沢の意見でございます。 メロメロ過ぎ。天国さんのこと好き過ぎ(笑) しかし天国さんも大概メロメロなのでもー性質が悪過ぎるこのバカップル。 題名からしてイカレてるバレンタイン話でございました。 世間様の空気を読めてない感満載でございます…… (でも書いてる本人はえれー楽しかった、という話) UPDATE/2005.2.15 |
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