日々徒然ときどきSS、のち散文
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2004/09/19(日)
SS・+なお話]「はじめましてっ。」(ミスフル+おお振り)


「はじめましてっ。」



「……っと、すいませんっ」

「あ、わぁ、あ?」


 南浦和駅。
 乗り換えの人々が足早に行き過ぎる中で、それは起こった。
 間に合うのなら自分も急ごうかどうしようか考えていると、背後からやってきた誰かと肩がぶつかる。
 と、言うよりも半ば跳ね飛ばされた形だったのだが。
 それに痛みや怒りを覚える前に、バランスを崩した足元がふらりと傾いだ。
 転ぶのだけは何とか避けたいと数歩よろめいた先で肩にどん、と何かが当たる。

 やばいぶつかった、と顔を顰めて咄嗟に謝罪の言葉を口にした。
 ぶつかったのとほぼ同時に聞こえたのは、驚きと途惑いが半々くらいの、声。
 振り向いた目の前に立っていたのは、天国と同じ年頃だろう少年だった。
 ぶつかったことに驚いたのだろう、目を丸く見開いている。

 俺より年下かな……や、でも同じっぽい、かも?

 考えながら、ちゃんと謝った方がいいだろうともう一度頭を下げた。


「ごめん、ぶつかって。平気?」

「う、あ、ぅん」


 天国の言葉に、相手はおどおどと視線をさまよわせながら頷いた。
 こくこく、と必死な様子で首を振る様子は、小動物のようで。
 やっぱり下かも、などとこっそり思う。


「怪我とか、大丈夫か?」

「だ、いじょぶ…で、す」

「そっか。あ、電車……」

「ぅあ」


 問いかけている最中に、向かっていたホームから電車が動き出した音が聞こえてくる。
 間に合わなかったな、と何気なく口に出したら、少年がきゅうと哀しげに眉を寄せた。
 同時に、多分自分と同様に思わず洩れてしまったのだろう声が、その唇から発せられる。
 それに焦ったのは天国だ。
 自分は彼が乗る筈だったのを邪魔してしまったのだろうか、と。


「今の電車、乗らないとまずかったとか?!」

「ひっ、や、ちが…い、ま す」

「え、でも今……」


 すごく残念そうな哀しそうな、そんな顔をしたのに。
 訳が分からずに問うような視線を少年に向ければ、慌てたような様子でぱたぱたと手を振った。


「おっ、オレが邪魔、しちゃったのか、と 思って……」


 どうやら彼も天国と同じ事を考えたらしい。
 おどおどびくびくしながら言われた言葉に、天国は安堵して息を吐く。
 一息吐くと、相手の様子を伺う余裕ができた。

 天国も結構地毛が茶色っぽいが、目の前の彼は天国のそれよりもずっと明るい色をしていた。
 人見知りするタイプなのだと、その態度から一目で窺い知れる。
 落ち着かなげにうろうろしている瞳の色も、髪と同じ透き通るような茶色をしていた。
 とにもかくにも彼を落ち着かせようと、その腕を軽くぽんと叩く。


「お互い様ってやつ、みたいだなっ。邪魔したんじゃなくて良かったよ」


 目線を上げた少年に、にこりと笑顔を向ける。
 自分は敵じゃない、害意はないというのを言葉ではなく伝えるように。
 天国の笑顔に安心したのだろう、少年の眉間に寄せられていた皺が、ゆるゆると解かれていく。
 笑顔、とまでは行かずともゆるめられた表情に、子供の相手をしてるみたいだなあ、と失礼ながら思ってしまった。
 まあ天国自身、自分が大人であるとは思っていないのだけれど。


「あ、の……っ」

「ん?」

「ケガ、とか は」

「あ、俺? 平気平気。ちょっとぶつかられてよろけただけだし」


 ひっでーよなー、ぶつかっておいて謝りもしねーでやんの。
 肩を竦めて、けれど少年に平気だからと手を振ってみせた。
 何とはなしにした行動だったのだが、何故か彼は天国の手のひらをジッと見つめている。
 どこか、真剣な目で。


「……?」


 何かあったかと自分の手のひらを見て、合点が行った。
 連日の部活と自主練で、天国の手は傷だらけだ。
 すり傷、切り傷、肉刺。
 テーピングや絆創膏が貼ってあるものの、その所為で余計痛々しく見える。


「部活で積もり積もったやつ。俺、こんなんでも野球やってんだ」


 高校入学してからだから、初心者もいーとこだけど。
 苦笑しながら言えば、けれど少年が嬉しそうな顔になっている。
 なんだろう、思う前に彼が口を開いた。


「おれっ、オレも、野球やって、るっ!」


 きらきら。
 そんな擬音を撒き散らしながら、興奮した様子で言った。

 野球、という言葉を。
 嬉しそうに大切そうに、口にした。
 好きで好きで、仕方ない。
 その目が、何よりも雄弁にそう語っていた。
 いっそ眩しいほどにまっすぐに。


 俺はこの目を、知ってる。
 そう、思った。
 何度も何度も、見て来た目だ。
 そう、バッターボックスに入ったその時に。
 対峙してきた、目。その色彩。
 子津が、犬飼が、見せてきた目。

 ピッチャー、だな。
 何故だか確信していた。
 理由を聞かれても答えに窮するだろうけれど。
 本能がなんとなく、そう思った。とでも言うのが一番近いかもしれない。
 バッターとしての勘、と言ってしまうとカッコよすぎる上に、自分は経験が浅いからその言葉を使うのは何となく躊躇われた。

 ほんの一瞬の、沈黙。
 天国はきゅ、と唇を引き結ぶように笑った。


「猿野天国、十二支1年。ポジションはサードでエーススラッガー! …の予定っ」


 そっちは? と言葉ではなく目線で促す。
 少年は一瞬う、と言葉に詰まったが。
 すぐに息を吸い込み、答えた。


「み、みはっ…三橋、廉っ。西浦1年、ピ、ピッチャー、です」

「三橋、ね」

「ぅ、んっ」


 みはしれん、ミハシレン、と口の中で何度か言ってみる。
 三橋が、そんな天国を何事だろうと言うようにぱちぱちと瞬きをした。
 一番最初に、同い年っぽいなと当たりをつけていたのは外れていなかった。
 ついでに、ポジションも。
 それが何となく、嬉しい。


「ミハシ……じゃ、みーちゃんて呼んでい?」

「ふへっ?」


 何を言われるのか、と身構えていた三橋に天国の言葉は予想の範疇外だったらしい。
 心底驚いた、とでも言いたげにまあるく見開かれた目は、やっぱり透き通るような色をしているなあ、とそんなことを考えた。