日々徒然ときどきSS、のち散文
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2004/06/07(月)
[SS・ミスフルパラレル]天国の涯【ヘヴンズエンド】10


【地獄の番犬】



 風が冷たくなってきたから戻ろうぜ、と天国が口にしたのはそれから程なくしてのこと。
 御柳もそれに同意し、天国の背を追うように階段を下りた。

 相変わらず狭い階段は、上がってきた時と同様注意を払っていないと低い天井に頭をぶつけてしまいそうで。
 背中を丸めるようにしながら、ようやく御柳は階段を下りた。



「あれ、ヘル」


 階段から降りてすぐの場所、3号室のドアの手前辺りに、人が立っていた。
 浅黒い色の肌に、金色の目。そして銀糸のような髪。
 背丈は御柳と同じくらいで。
 彼もまた、御柳に負けず劣らずの美丈夫だった。

 その、天国とはまた違った意味での強烈な存在感に御柳は内心で舌を巻く。
 自身の容姿のことを客観的に判断している御柳は、己の姿が十二分に人目を引くものだとは充分理解していた。
 それが、武器として充分すぎる程の威力を持っていることも。

 けれど、そこに立っている男は。
 その佇まいは。
 ただ立っているだけだというのに、ひどく意識を引きつけられるのが分かった。
 暗闇の中で、確かに傍らに何かがいるのを感じとるような心地で。

 天国を陽とするならば、彼は間違いなく陰だ。
 そうして、人間という生き物は少なからず闇にも心惹かれるもの。

 コイツ、ぜってぇ女に追いかけ回されてんだろな……

 人を見かけたその瞬間にそんなことを考えてしまう御柳もどうかと思うが、それが外れていないというのが恐ろしい。
 心の声が読まれていたら、間違いなく男は嫌な顔をしただろうが。


「今から出掛けんのか?」

「ああ……仕事、入った」

「そっか。あ、じゃあ一応紹介しとく。今日から2号室に入ったヴィシャスっての。ヴィシャス、こっちは4号室のヘルな」

「……Hell?」


 やはり、先ほどの呟きは聞き間違いではなかったらしい。
 あまりと言えばあまりな名前に、自分の耳を疑ったのだが。
 聞き返した御柳に、天国はこくりと頷いた。


「そう、ヘル。イジメんなよな〜?」


 図体はデカイけどボーっとしてっから。

 などとなかなかに酷いことを口にしながら、天国は笑う。
 それとは対称的に、ヘルと紹介された男は黙ったままだ。
 興味がないのか慣れたのか、それとも諦めているのか。
 その顔にはどんな表情も浮かんではいない。

 その様は造りのいい、マネキンが立っているようにも見えた。
 隣りに立つ天国がころころと表情を変えるものだから、余計にそんな風に見えるのだろう。
 と、ふとそこで御柳が自分がさらりとヴィシャスとして紹介されてしまったことに気付いた。


「ってか、ヴィシャスじゃねーから。俺、御柳な。ヨロシク」

「……犬飼」


 ヘル、こと犬飼は御柳の言葉に、ぼそりと呟くようにして名乗った。
 低い声は、外見に合わせたように耳に馴染むテノールだった。


「ヘル、これから仕事だったら夕飯間に合わねーよな? どうする、とっとくか?」

「帰ってきたら、食う」

「分かった。クロによろしく言っといてな」

「ああ」


 見た目は今すぐにモデルになっても通用します、なほどの美形なのだが、いかんせん犬飼は愛想がない。
 天国の言葉にも、必要最低限な返事しかしていない。
 だが、二人の様子を伺っていた御柳は気付いた。

 犬飼が、僅かながらも天国に気後れ、にも近い感情を抱いているらしいということに。
 気後れ、と表現するのは些か語弊があるかもしれない。
 微かすぎて、その感情には名前など付けられないだろうから。

 それでも、確かに。
 犬飼は、天国に何かしらの感情を向けていた。
 そしてそれは、おそらくマイナスなだけの感情ではなく。


「気ぃ付けろよ〜」

「ああ」


 ひらひらと手を振る天国に、犬飼はこくんと頷き。
 そのまま階段を降りて行った。
 少しだけ猫背なその歩き方は、まるで身を隠すかのようにも見えた。



「天国と地獄、ね」

「何?」

「お前がヘヴンで、アイツがヘルだろ? 天国の涯には、両方が揃ってんのかと思って感心してたトコ」


 heaven=天国と、hell=地獄。

 呼び名とは言え、仰々しいその二つが揃っているのは珍しいことだろう。
 御柳の言葉に、天国は何が可笑しいのか、ふっと笑んだ。
 その笑い方が気になり、つい問うてしまう。


「何笑ってんの?」

「や、アイツね、番犬だから」

「番犬?」

「ホラ、見た目は頼りになりそーだろ? デカイし、目つきあれだし」


 確かに、天国の言葉通り。
 上背はある、おまけにあの無言の圧力はなかなかに迫力があると言えるだろう。
 先ほどの邂逅から、ただ単に無口で感情の起伏がほとんどないだけ、と分かってしまった御柳には恐るるに足らず、と言った所だが。
 何も知らない人間から見れば、なかなかに威圧感があるものだろう。


「ま、確かに迫力はあんな」

「だろ? だから番犬。番犬つったらケルベロス。なんだけど、呼びにくいから地獄の方をとってヘルにしたってワケ」


 番犬=ケルベロスに直結する人間はそうそういないだろう。
 そう思ったが、敢えて御柳は言わないことにした。
 天国の、いっそ破天荒とも言える思考回路は最早自分が何を言ったところで無駄だろうと思ったからだ。
 そして、その判断は間違っていない。

 大体にして、人様に呼び名とは言え地獄、と名づけてしまうのは普通のセンスでは出来ないことだろう。
 ケルベロス、も相当だが、呼びにくいからという理由でヘル、などと常日頃呼ばれるのは自分ならばご免被りたい、と御柳は考える。
 見た所呼ばれている犬飼本人は興味なさそうだったが。


 あー……でも、人のこと言えねーんか。


 自分に与えられた名に思い当たった御柳は、ふっと苦笑した。
 ヴィシャス=危険。


 …なーにが危険、だか分かってんのかね、まったく。

 人のことを言えた義理では決してないが、勘と本能で生きる人間は恐ろしい。
 時として、想像にもつかないような、それでいて核心をまっすぐ突くような行動に出ることも珍しくないから。








2000文字さくっと越え。
むしろ3000文字に近いという噂。
犬飼氏登場です。
住人紹介がここでもまだ終わっていないというのが恐ろしい所ではありますが。