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日々徒然ときどきSS、のち散文
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2003/03/10(月)
[SS・ミスフル]風音、春音。(猿、高校入学前)



「風強ぇー」

 ごうごうと。

 うなるような音をたてて、風が吹いている。


 春の音を、聞いた、気がした。



   
風音、春音。



 中学の卒業式も終わって暇になるかと思ったら、何だか高校入学までにやれ制服合わせだ、やれ教科書購入だのでなんだかんだでバタバタするらしい。
 ただ、周りは慌ただしくしていたものの、天国本人はと言うとそうでもなく。
 適当に付き合って、適当に出かけて教科書買って、ただそれだけだった。

 ただ、それだけ。

 自分が中学を卒業して、これから高校に行くというのも、ただそれだけ。
 ただ事実としてあるだけ。
 実感として湧いてはこない。

 実際、今だって教科書を買ってきたその帰りで。
 手に持った鞄の中には真新しい教科書が詰まっていて。
 その重みは確かに事実で、ここにあるものだけれど。
 天国にとっては、それもただそれだけのことだった。
 現実感がない。
 そういうのが一番近い表現のような気がする。
 その言葉もまた、今の天国の心境を指すにはまだ足りないのだけれども。
 一番近いのは、その言葉だった。

 川原沿いの道。
 強い風に目を細めながら、天国は川に目を向けた。
 水音は、聞こえない。
 水の流れは、ずいぶんゆっくりしたものらしい。
 天国はそれをぼんやりと見やりながら、ふっと息を吐いた。


「遅ぇなー、沢松……」

 話抉れてんのかな、と呟きつつ、天国は土手を降りた。
 土手の中ほどまで降りて、芝生の上に座り込む。
 草の感触が少しちくちくと痛かったが、気になるほどでもなかったから放っておくことにする。
 陽射しは暖かいけれど、吹きつける風はまだどこかしら冷たい。
 春の訪れの一歩手前みたいな、そんな天気。

 親友は、中学の時に付き合っていた同級生に捕まっていて。
 多分今頃、面倒な話をしているんだろうと思う。
 自分と一緒に馬鹿なことに付き合ってくれる沢松が、一部からは結構な評価を貰っていることを、天国は知っていた。
 頭は悪くないし、面倒見はいいし、なんだかんだで優しいし。

「……でもそれ、俺にも当て嵌まってねえ?」
 小首を傾げつつの自問は、余計に虚しさが増すだけだった。 
 風の音が、鼓膜を揺らす。

 春の嵐だ。
 これが過ぎれば、また春が近くなる。
 草の芽が芽吹き、花が咲き、春が訪れる。

「っ、あ!」

 一際大きな音がして、強い風が天国を煽り。
 それに思わず目を閉じたその時、被っていた帽子が飛んだ。
 その一瞬何が起こったのか分からず、天国はぼけっと帽子が飛ばされていくのを目で追っていたが。
「やっべ、あれ買ったばっかだっつの…!」
 ふと我に返ると、慌てて立ち上がり。
 飛ばされた帽子を追いかけ、走り出した。

 握った鞄には、真新しい教科書。
 そのせいで、鞄はずしりと重い。
 肩に掛かるその重みに、天国はようやく春が近づいてくるのを実感した。



END







最近ブームなのは日常ありうるような小話なのかもしれません。
日常を書けてこそ、見えるものとか書けることってあると思うので。
春の話をね、書きたかったのです。
CPでも良かったんですけども、春の話だとこれから先原作がどうなるか分からないなー…とか考えて逃げてみた(爆)
2003年3月10日。埼玉県、風が強いです。