永遠なんて、願うだけ無駄だから。
不変のものなんて、存在するはずがないから。
だから、『永遠の想い』なんて、信じない。
7月7日
網戸越しのベランダから聞こえてくる、サラサラという耳障りのよい音。
シャワーを浴び終えて、ごろりとベッドに寝転がって雑誌を読んでいた猿野は、
ちょうど同じくシャワーを浴び終えて部屋に戻ってきた犬飼を見遣って、
ニッと不敵な笑みを浮かべて見せた。
「テメーってば、相変わらずロマンティストっつーか、乙女趣味っつーか…。」
「は?なんだ、いきなり。ワケが分からん。」
「ほら、あれだよ、あれ。」
そう言って、猿野が指をさした先。
少し湿り気を帯びた微風にサラサラと揺れているのは、綺麗に飾られた笹だった。
今日は、七夕。
一年に一度、離れ離れの恋人たちが逢瀬をする夜。
ニヤニヤと笑う猿野に対し、犬飼は別段気にする様子もなく、
あれは毎年、辰んちのおばさんが持ってきてくれるんだ、と説明した。
そして、ふと、ベッドの上の猿野に視線を向けて。
「テメーも短冊、書くか?とりあえず。」
そう言って、机の引き出しの中から、余りものであろう短冊とサインペンを出そうとする。
途端に、猿野は嫌そうな顔をして、眉をひそめる。
「書かねーよ、んなもん。
どういう理屈でお星様がお願い叶えてくれるってんだ、バカバカしい。」
第一、もし百万が一、七夕の伝説を信じるとしても、
どういう理屈で織姫と彦星が下界の人間の願いを叶えてくれるというのだ。
そんな暇があったら、一年に一度しかない逢瀬をたっぷり楽しんだほうがましだろうに。
そんな理屈の話を猿野がすると、犬飼は小さく吐息をつき、ベッドの端に腰掛けて、
コツン、と猿野の頭を軽く叩いた。
「テメーは夢がなさすぎだ、とりあえず。
奇跡だなんだって自分じゃ起こすくせに、テメー自身はそういうのに興味がねーんだな。」
ギシッとベッドが軋んで、犬飼が猿野との距離を縮めて。
けれど、すぐに猿野はそんな犬飼から逃れるようにして、ベッドから降りると、
勝手に網戸を開けて、ベランダに出た。
ムッとした風が、まだ濡れている明るい茶の髪を、ほんの僅かに揺らす。
ぱたぱたと手で扇ぐまねをしながら、猿野は無言で笹に近づいた。
きっと、辰羅川の母親は几帳面な人なのだろう。
折り紙で作られた綺麗な飾りが、細い笹をにぎやかに彩っている。
そして、そんな飾りの間を縫うようにして下げられている、数枚の短冊。
ほとんどは、「おりひめ」だの「ひこぼし」だの、達筆で書かれた当たり障りのない言葉。
きっと、これも辰羅川の母親が用意したものだろう。
「あ!これ、『冥ちゃんが今年も一年、元気でありますように』だってさ!!
たっつんとこって、親子そろって面倒見がいいんだなー。
感謝しろよー、犬。
たっつんたちが世話してくれるから、テメーは生きてられんだからよ。」
軽い口調のからかいの言葉に、ベッドに座ったままの犬飼は、少し不機嫌そうに眉根を寄せた。
「とりあえず、うるせえ。」
「図星だから、そーゆーこと言うんだろ、テメーはさ。」
チロッと赤い舌を出して、おどけてみせる猿野。
そして、再び短冊に目を走らせる。
と、その動きが、ふと、止まった。
一瞬、明るい茶色の瞳をよぎる、言い表しようのない複雑な色。
けれど、それは刹那のこと。
すぐに、へにゃりと歪んだ唇が、可笑しそうに、からかうようにして刻む言葉は。
「まーだテメーってば、こんなこと言ってるわけ?」
他の短冊とは明らかに筆跡の違う、汚い文字で書かれた願い。
『永遠に、猿と一緒にいられますように』
「バッカじゃねーの?」
らしくもない冷え切った笑みを浮かべ、短冊をつまんで弄ぶ猿野。
弾かれたようにしてベランダに飛び出してきた犬飼が、
すんでのところで、猿野が短冊をちぎり捨ててしまうのを阻止する。
彼のよりも一回り細い手首を、ぎゅっと、折れろとばかりに掴んで。
琥珀の瞳をいつも以上に鋭くして、ぐっと唇をかみ締め、猿野をまっすぐに睨みつける。
猿野もまた、そんな犬飼を、真っ向から見つめ返す。
「俺は。」
どれだけ、無言で睨みあいを続けただろう。
ふと、目を眇めて、猿野が静かに言葉を吐き出した。
「永遠なんて、願わねーから。」
淡々とつむがれる言葉に、感情の色はない。
ギリギリと歯を食いしばって、犬飼は一層、猿野の手首を掴む手に、力を込める。
「痛い。」
「知るか。」
「離せよ。」
「イヤだ。」
「…ワガママ。」
ふう、と息を吐き、肩を竦めて、猿野は「もうちぎったりしねーから、離せ」と言った。
少し、犬飼の手の力が緩められる。
けれど、完全にその手が外されることはない。
それは、迷子になるのを恐れている、小さな子供のようで。
「…知ってる。」
猿野の手首を握り締めたまま、呻くようにして呟く犬飼。
言葉を刻む唇の端は、僅かだけれど震えていた。
「知ってる、これは俺のワガママだ。
テメーが永遠なんて望んでもねーのは、知ってる。
けど…!」
愛する人と、永遠に同じ道を歩みたいと願うことは、間違いなのか。
縋るようにして、犬飼は猿野の体をかき抱いた。
そうっと、何処か痛いような顔をして、猿野は自分の胸に顔をうずめてしまった犬飼の背を撫でた。
優しく優しく、まるで慈しむように。
明るい色をした瞳が、ふっと揺れる。
唇が、戦慄く。
刹那にそっと、猿野は一度瞳を閉じて。
そして。
「永遠を願えば、ウソになるだろ。」
ぽつりと、何処か、独り言のように、そんな言葉を呟いて。
けれどすぐに、いつもの明るい口調に戻って。
「ほら、世の中、俺たちみてーな関係を認めてくれるほど、寛容じゃねーしさ!
学生の間はいいけど、社会に出たら、さすがに続けてくのは、無理だろ?な?
だから…。」
「願うことも、望むことさえも、テメーは諦めちまってるのか?」
何処か責めるような言葉。
猿野の胸から顔を上げた犬飼が、まっすぐに猿野を見つめて問う。
猿野は、黙った。
そして、まるで逃げるようにして、犬飼から目を逸らした。
その瞳が見つめるのは、犬飼の書いた短冊。
違うんだ。
本当は、違うんだ。
永遠を願わないのは、諦めているからじゃなくて。
そうじゃ、なくて。
怖い、だけなんだ。
今まで起こしてきた奇跡は全て、努力で叶うものだった。
目標に向かって、わき目も振らずに突き進めば、叶えられるものだった。
けれど、自分たちの関係は。
この想いに、この関係に、永遠を願うことは。
努力だけでは、どうにもならないものだと、知っているから。
だから。
永遠が叶わなかった現実を、突きつけられる日が、怖い。
永遠の想いが、ウソになってしまう、そんな日が、怖い。
そう、本当は、永遠を求めているのは、むしろ。
「ホントは…。」
刻みかけた、本音。
けれど、すぐに猿野は押し黙り、そのまま口をつぐんでしまった。
「ホントは?」
聞き返す犬飼に、苦笑を浮かべ、首を横に振る。
そして、夜空を見上げ、突然、あっと声を上げた。
「今年の七夕、晴れてるじゃねーか。
大体、毎年七夕って曇りか雨なのにさぁ!」
そう言って猿野が指差した先には、微かに見える七夕の星たち。
ああ、と頷く犬飼に、猿野は破顔一笑して見せた。
そして。
「テメーがこんなお願いした年が晴れるってことはさ、
もしかしたら、万が一だけど、永遠に一緒に…なーんてことも、あるのかもしれねーな!」
それは、永遠を願う犬飼のためだけに発せられた言葉なのか。
それとも。
驚いたように僅かに目を見開いた犬飼を尻目に、猿野は部屋の中に一旦戻り、
そしてまたすぐにベランダへと出てきた。
その手に握られているのは。
「猿…?」
「へへっ、せっかく晴れたんだ、別に信じてるわけじゃねーけど、
でも、テメーに付き合ってやるよ!」
何も書かれていない短冊と、サインペン。
そのまま、猿野は犬飼に負けないくらい汚い字を殴り書きして、笹の空いているところに括りつけた。
「もう、ホント、俺ってば優しいー!
ロマンティストなワンコちゃんのために、こんなことにまでお付き合いしてあげんだからさぁ。」
「別に、俺は付き合えなんて言ってねーし。」
「またまたぁ。」
ケラケラと笑って、そのまま犬飼の腕を掴む猿野。
「さ、そろそろ部屋に入って、俺たちも空の上のヤツらに負けねーくらい、いちゃついてやりますか!」
「珍しいこと言ってるな、テメー…。
こりゃあ、今すぐ雨が降り出すかもしれねーな。」
「テメーっ!人が可愛いこと言ってやりゃあ、いい気になりやがって!
くそっ、ムカついたから、今日はお触り禁止!!テメーは床で寝やがれ!」
「誰んちだと思ってんだよ、とりあえず…。」
「ブツブツ言ってねーで、ほら、蚊が入る!網戸閉めるぞ!」
そんな猿野に、フッと犬飼が表情を和らげて。
そして、まだ湿っている髪を、愛しげに梳きながら、二人して部屋の中へと入っていった。
網戸を閉める、その瞬間にほとんど聞こえないほど小さな声で、
猿野は、「あれが、今の俺の本音だから」と呟いて。
その言葉は、犬飼の耳に届いたのか、届かなかったのか。
『永遠の想いを信じられる、勇気を持てますように 猿野天国』
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≪Comments≫
5万打記念SS第二弾、「七夕までに間に合ったよ!」SSでした(違)
第一弾が甘甘だったので、今度は切ない系にしてみました。
うちのサイトに遊びに来てくださる方は、
甘甘系好きな方と、切ない系が好きな方と、ちょうど半々くらいの比率なので。
さて、七夕に似合わない、辛気臭い話でしたね〜。(謝れ)
七夕くらい、ラブラブな話を書こうよ、私…。
うちの犬猿は、基本的には犬がロマンティスト、猿がリアリストなんです。
だから、犬は「永遠に…」とか簡単に使うけど、猿は使わない。
永遠なんて、ウソになってしまう確率が高いことを知ってるから。
けど、この話に書いたように、やっぱり何処かで永遠を願っている、というか…。
無理だと思っても、ないものねだりに過ぎなくても、
やっぱり、それでも願ってしまうことってありますよね………。
ということで、こんな話ですがフリーになってますんで、
「哀れだから拾ってやろう」という優しい方は、持って帰っていただけるとありがたいです☆