道の向こうに戻れない夏がある あんなに激しくゆれるまま夢中になった
流れる汗をぬぐおうともせず 抱きしめ合った
真夏を駆ける肌の熱さよ さめぬままで
ジイジイとセミの鳴く声だけが、うだるような暑さの中、響いていた。
時折吹き抜ける風に、乾ききったグラウンドの砂埃が舞い上がる。
揺らめく陽炎の向こうには、人の気配の無い、ベンチ。
ふと振り向いて見上げた校舎では、傷一つない時計が、静かに時を刻んでいた。
短い階段を下り、グラウンドに足を踏み入れる。
むっとした熱気は、あの頃となんら変わっていない。
照りつける日差しの痛みまでも、あの時のまま。
ここで、この場所で、夢中になって白球を投げた。
流れ落ちる汗を拭うこともなく、必死で走った。
今となっては、『最高の仲間』、と呼べるチームメイトと、甲子園という夢に向かって。
そして、同時に。
この場所で、この熱の中で、燃えるような、恋を、した。
猿野天国―、いまだに、忘れられない、最愛のひとと、恋を、した。
出会いは、予期せぬ偶然。
鳥居凪というマネージャーに誘われて、野球経験ゼロのくせに、名門野球部の門戸を叩いた、猿野。
そんな素人の存在を、決して快くは思わなかった自分。
けれど。
入部試験で実際に対戦をして。
あの時に投げることのできた、最高の球をホームランにされた、その瞬間。
自分は、恋に落ちていた。
猿野を、心の何処かで、愛しいと思った。
そのときは、まだ、それが恋だなんて、全く自覚してはいなかったけれど。
二人揃って野球部に入部してからも、事あるごとに衝突した。
むしろ、ケンカをしない日など、なかったくらいだ。
くだらないことで、お互いに食って掛かって。
それを、「楽しい」だなんて思っている自分に、いつしか気付いて。
そして。
甲子園への切符を手に入れた、あの記念すべき日、
勝利の喜びに、互いの体を強く強く抱きしめあった、瞬間。
ついに、自覚したのだ。
ああ、自分は猿野天国を、愛しているのだ、と。
告白は、出来なかったけれど。
それでも、何度か強く抱きしめることで、想いはきっと、伝わっていた。
溢れ出る愛しさに、こらえきれなくなって、そっと唇にキスしたときも、
嫌がる素振りも見せずに、照れたように笑ってくれたから。
猿野も多分、いや、確かに、自分のことを愛していてくれたのだ。
二人きりで帰るとき、人気のない道では、手を繋いで歩いた。
皆無に近い、部活が休みの日には、一緒に出かけたり、互いの家に遊びに行ったり。
二人だけの時間を、とてもとても大事にして。
そして。
夏が過ぎ、人肌の恋しい季節が来た頃。
いつものように家に遊びに来た猿野を、初めて、抱いた。
少し、強引に。
自分より一回り小さい体を、ベッドに縫い付けて。
高い体温と、速い鼓動。
加えて、泣き声にも似た嬌声は、今でも鮮明に思い出せる。
翌朝、目覚めたとき、いつものように笑ってくれたその優しさに、
こっそり隠れて少しだけ泣いてしまったこと、猿野は知っていたのだろうか?
あれから、5年の月日が流れた。
あの笑顔も、あの温もりも、あの優しさも、今はもう、想い出になって。
一歩一歩、踏みしめるようにして、グラウンドを横切り、
懐かしいベンチに、腰を下ろす。
今年の夏も、十二支高校は、甲子園への切符を手に入れた。
ちょうど今頃、あの熱気と歓声に包まれたグラウンドで、熱戦を繰り広げている頃だろう。
まるで、あの頃に自分たちのように。
脇目も振らず、ただ、がむしゃらに。
その熱に、終わりが来ることなど、少しも考えずに。
けれど、確かに、終わりは訪れるから。
猿野との別れは、必然のようにやってきた。
ケンカをしたわけではない。
別れようと、どちらかが口に出したわけでもない。
けれど、告白もなく始まった恋だから。
二人が別々の道を進むと決まったとき、互いを繋ぐものは何もなかった。
正確な意味では、二人は、恋人ではなかったから。
卒業式の日、「頑張れよ」と握手をした、それが最後だった。
自分はプロの道を選び、猿野は大学へと進学した。
それきり、音信は途絶えた。
連絡を取ろうか、と、何度か考えたことはあった。
けれど、かけ慣れたはずのメモリーを押しかけては、いつもやめてしまった。
何を話せばいいのか、分からなくて。
伝えるべき言葉が、見つからなくて。
その言葉は、今もまだ、見つからない。
運動場の際に植えられた桜の木々が、ベンチに優しく陰を作る。
焼けた肌の上を、汗が伝っていく。
それを心地よく感じて、改めて思う。
今日、ここに来て、よかったと。
こうして、あの懐かしい、愛しい日々の想い出を辿れて、よかったと。
二ヶ月前に、アキレス腱断絶という怪我を負い、三軍生活を余儀なくされ、
やっと明後日から、二軍で登板出来るようになって。
その前に、どうしても、ここに来たいと思った。
自分にとって、至福とも言える想い出のあるこの場所に。
どうしても、訪れておきたいと。
そういえば、猿野がまだ、傍にいてくれた頃。
練習が終わった、夕映えの中で、ふと、思ったことがある。
いつか、一人でもう一度、ここに戻る日が来る。
この場所に立つ日が来る。
そんなことを。
ベンチから立ち上がり、今度は照りつける太陽の真下へと、歩いていく。
そこにあるのは、自分にとって、最も神聖で、最も大切な場所―ピッチャーマウンド。
プレートに足を掛け、まっすぐにバッターボックスを見据える。
そこに、あの瞳があるような気がして。
自分の心までも射抜いた、あの眼差しが、あるような気がして。
猿野天国が、そこに立っているような気がして。
ゆっくりと、振りかぶる。
手には、グラブもボールもないけれど。
それでも、試合のときと同じように。
腰にひねりを入れながら、右足を高く上げ。
そして、弓のように全身をしならせ、目に見えない、渾身の球を投げる。
聞こえるはずのない快音が、はっきりと耳に届いた気がした。
その瞬間、気付く。
自分が、本当は何をしなければならなかったのか。
猿野に、何を伝えなければならなかったのか。
伝わっているから、必要ない、ではなくて。
ちゃんと、告げるべきだったのだ。
多くの言葉はいらない、たった一言。
「猿、愛してる…。」
「俺も愛してるよ、犬。」
はっきりと耳を打った懐かしい声に、思わず周りを見回す。
空耳?
いや、違う。
確かに、今の声は。
自分より少し高めの、よく通るあの声は。
「へへへっ、やーっと言ってくれたな。
つか、まあ…、こっちから言わなかった俺も俺だけど。」
「…猿っ!!」
視線の先、三塁ベースの上に立っていたのは、忘れられない最愛のひと―猿野、だった。
躊躇も無く、三塁に駆け寄って、強く強く猿野の体を抱きしめる。
これが幻ではないことを、確かめるように、強く。
「ちょ…、苦しいって!」
「うるせえ…、ちょっと黙ってろ。」
「ワガママー!」
そんな憎まれ口を叩きつつ、腕の中で嬉しそうに笑う猿野。
あの頃となんら変わらない、笑顔、高めの体温。
「…今日、ここに来たらさ、なんとなく、テメーに逢えるような気がしたんだ。
へへっ、まさか、告白まで聞けちまうとは、思ってなかったけど。」
そして、奇跡を起こす力。
今まで胸の中で蟠っていた愛しさが溢れ出してきて、たまらずに繰り返す。
「猿、好きだ、すっげー好きだ。
これからも、ずっとずっと、一緒にいてえ。
離れたくなんてねえ。」
強く抱きしめた腕の中で、猿野は何度も何度も頷いてくれて。
「ちょっとハズいんだけどさ、俺も…、やっぱ、テメーとはずっと一緒にいてーや。
だから、とりあえず、さ、ゆっくり話をしようぜ?
今までのことも、これからのことも…。」
そう言って、真夏の太陽に負けないほど、眩しい笑顔を浮かべてくれた。
二人で過ごした日々、あの暑い夏、それは確かに、想い出という名の宝物で。
もう二度と、戻ることは出来ないけれど。
あの日目指した夢―甲子園制覇は、叶えることが出来なかったけれど。
それでも、今、ここから、もう一度、始めることが出来るから。
『過去』の想い出を胸に、『今』の互いを愛することが出来るから。
今度こそ、本当に『恋人』として、二人で歩き出せるから。
甲子園を目指していた、あの頃と同じ、焼けるような太陽の下、
二人の恋は、今、本当の意味で、始まりを迎えた。
まだ見ぬ未来の帳のどこかで不意にめぐり逢えるのなら
懐かしさにただ立ち尽くす前に お互いの今を愛せるだろう
夏の向こうには 戻れない夢がある
君といた日々は宝物そのもの
そしてこれから君と過ごす新しい日々もまた 宝物そのもの
GLAY / SPECIAL THANKS
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≪Comments≫
大っ変お待たせして、本当に申し訳ありませんでした!
3周年記念のミスフルソングアンケートの結果を受けての、
ミスフルソング犬猿SS、でした。
実は、たくさんの素敵ミスフルソングを教えていただけた結果、
どれもが実にミスフルソングとして相応しかったので、
自分ではどうしても、「これ!」と選ぶことが出来ず、
結局、あみだくじを作って、選ばせていただきました。
というわけで、その結果選ばれたのが、GLAYの『SPECIAL
THANKS』でした。
ちょうど、3周年皆さんありがとう!という意味でも、バッチリのタイトルでしたね☆
なんだか、運命的なものを感じます…!!
内容も、私の中の犬猿観にベストマッチしていて、大変萌えました。
内容としては、ラストの辺りは、曲の内容とはちょっと違った感じにしてみました。
「まだ見ぬ未来の帳のどこかで〜」の辺りから少し想像を膨らませて、
実際に二人が出会ったら…ということで。
基本的に私の中では、犬と猿は一度別れてから、もう一度くっつくと思っているので(笑)
遅くなりましたが、このSSはフリーとさせていただきますので、
もし気に入っていただけましたら、どうぞ持っていってやってくださいv
ではでは、本当に遅ればせながら、3周年&アンケートご協力、本当にありがとうございました!!